「2002年01月」の記事

くるま

2002年1月30日 / 役に立たない韓国語

 最近韓国の歴史のようなお話を翻訳した。
 そこに「車」という単語が有った。

수레su-re:車

 車と言っても「自動車」の事ではない。
 荷物を運ぶための「大八車」の様な道具のことである。

 ネイティブの先生は、この単語を翻訳するとき、逆に私達に質問をした。
「車って言ってもピンと来ませんね・・・日本語で何と言ったら一番しっくり来るのでしょうか?」と。

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ハサミ押される

2002年1月30日 / 役に立たない韓国語

 前回に引き続き「梅図かずお」先生の漫画を想像してしまった表現だ。


神の左手悪魔の右手「錆びたハサミ」より

 実はこの表現を初めて見たのは、漫画は漫画でも、韓国語版「名探偵コナン」の1シーンだった。
 第2巻のお話に、古い洋館の地下に閉じこめられている青年の話が載っている。
 その青年はベットで寝ていたのだが、突然叫びながら目を覚ます。
 その姿を見た母親は「またハサミ押されたんだね」と言っていた・・・

가위 ga-wi:ハサミ

눌리다nul-li-da:押される

가위 눌리다ga-wi nul-li-da:ハサミ 押される?

 いや、お話の流れから考えると「悪夢にうなされたんだね」と言っているに違いないと思ったのだが、何かしっくり来ない。
 何かまた大きな勘違いをしているに違いない。

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耳に釘・・・

2002年1月30日 / 役に立たない韓国語

귀에 못을 박히다gwi-e moseul bak-hi-da:耳に釘を打ち込まれる

 今回は日本語に直訳すると、まるでスプラッタムービーを想像してしまうかもしれないお話だ。
 もちろん、順を追って考えてみれば納得ゆく話しであるのだが、私はこの文を見て「梅図かずお」先生の漫画が頭によぎった(^_^ゞ

 さて、この慣用句はどういうときに使うのか、さっそく例文を上げてみよう。

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あぽ!

2002年1月13日 / 役に立たない韓国語

 早いもので、今を去ること約3年前、平成11年1月31日午後4時4分、ジャイアント馬場さんが「御還りになった」。
 プロレスにはほとんど興味の無かった私でも、プロレスラーといえばジャイアント馬場、アントニオ猪木、力道山、ザ・デストロイヤー位の名前は出てくる。
 プロレスが八百長だとか言う人は多いと思うが、ショーレスラーとしてジャイアント馬場さんの功績は、戦後日本の1ページをになっているに違いない。

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空牛

2002年1月7日 / 役に立たない韓国語

 私はある虫の名前を日韓辞典で探していた。
 A社の辞書にはは直訳すると「空牛」と言う名前が有った。
 なるほど、あの虫は「空牛」というのか・・・

하늘 ha-neul:空

so:牛

하늘소 ha-neul-so:空牛?

 ところがこの「空牛」を同じA社の韓日辞典で調べてみて驚いた。
 そこには「カミキリムシ」という名前が書いてあったのだ。
 何を驚いたかというと、私が日韓辞典で調べていた虫の名前は「クワガタ虫」だったからだ。

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明けましておめでとう

2002年1月2日 / 宣教師の思考方式

 21世紀最初の年が終わってしまった。
 そして2002年の幕開けである。
 今年は日韓同時開催のワールドカップが執り行われる。
 私はこのワールドカップのために韓国語を勉強し始めたと言っても過言ではないので、ぜひ今年はこの韓国語を活かせる仕事をしたいと思っている。

 さて、韓国語で「明けましておめでとう」はどのように言うか。
 下記のように言うのだ。


sae-hae bog mani badeu-se-yo
セヘ ボン マニ パドゥセヨ

 直訳すると「新年 福 沢山もらって下さい」となる。
 昨年の始め、私は上のハングルを間違えてホームページに掲載したため、韓国の方からご指摘を受けた。
 何を間違えたかというと「新年 福を沢山もらって下さい」と「を」を余計に書いてしまったのだ。
 普通の作文で助詞を省くとしっくりしない場合と、省いても構わない場合の二種類が有ると思う。
 しかし、この決まり切った挨拶というやつは、文法がどうのこうの言う前に「昔からそうなっている」から仕方がないのだ。

 考えてみれば「明けましておめでとう」という日本語の挨拶も、文法的に考えるとしっくり来ないというか、外国人にしてみれば難解な日本語だと思う。
 何が「明けた」から「おめでとう」なのか?
 もちろん、新しい年を向かえたという意味なのだけど「あける」と言う漢字を変換すると「明ける」「開ける」「空ける」の3つが出てくる。
 この中の「明ける」は「喪が明ける」など物理的な障壁でないものが無くなったときや、期間が過ぎた時に用いられる単語だ。
 新年が明けたからと言って、なんで無条件におめでたいのだ?なんて突っ込みたくなる。(私だけかな?)
 もちろん、昔は生きることすら大変な世の中だったから、生きて新しい年を迎えられるということ事態が、喜ばしかったからだろう。
 それが「明けましておめでとう」という言葉に含まれている。

 私が持っている韓日辞書の巻頭にこんなことが書いてあった。

言葉の一つ一つに、日本語のより深い味わいを見つけよう、見つけようと努力しました。
あなたは、前から日本語を知っています。
でも、言葉の味わいは限りなくあります。
もっと、もっと日本語を見つけましょう。

 このコンテンツを書き始めて、何となく辞書の最初のページをめくったら、この言葉がふと目に留まったのだ。
 1年ほど前に買った予備の辞書だったのだが、今まで最初のページから目を通したことが無かったので、新年早々素敵な発見が出来たと思う。

 以前書いたことだが、言葉と言うものは複数の人がイメージを共通化させるための物だと思う。
 しかし、その単語に含まれているイメージというものは、個人個人では若干異なってきてしまうし、自分がこんなことを言いたいんだと思って言葉を並べても、母国語であるのにも関わらず相手の取り方によっては、とんでもない誤解を与えてしまうことも沢山経験してきた。
 言葉というのは「心の中で言いたいこと」を誰にでもわかるはずの、共通のキーワード、単語、動詞などの羅列で表現する。
 その心を伝えるためのキーワードが「韓国語」に置き変わったとき、韓国語が持つイメージや味わいを知っていなければならない訳だ。

 韓国語をゆっくり味わっていられるのもあと3ヶ月しか残っていない。
 とにかく、読者の皆さん、セヘ ボン マニ パドゥセヨ

<02/01/02>

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