いい格好しい
2006年5月31日 / 学校
今日は無事に韓国語学校に出席することができた。
徹夜明けで3時間くらいしか仮眠することができなかったため、そのまま爆睡してしまう可能性もあったのだが、まだ韓国語への興味が残っているらしく、時間前に学校近くのコーヒーショップで予習することができた。
本当に今年の授業は先が見えない。
先週、先生が「去年使っていた教科書を持ってきてください」と言い出した。
正確に言うと2年前に使っていた教科書だ。
その頃の日記にも書いたのだが、教科書に出てきた文法項目や、教科書の内容に関して話が始まると、どんどん横道にそれる
先生もおしゃべりが好きなこともあって、事態の収拾を図るどころか、先生が自ら率先して新しい話題を提供してくれた。
そうして、新学期が始まってわずか2,3ヶ月の段階で
この教科書が終わる見込みはありませんけど、まぁ良いか!
なんてことになった。
それだけ生徒が自主的に言いたいことを言えたし、ちょっと詰まったときも「それはこういったほうがいいです」と、話すことの楽しさを教えてくれたし、生徒が話すことを妨げることはしなかった。
そのおかげで結構べらべらしゃべる「のり」みたいなものが、この学校にあったと思う。
その学校も3年目。
新しい先生はいまだに授業の進め方に悩んでいるらしく、とにかく色々な方法を模索している様子。
教科書の利用もそういう考えの中で出てきたことだろう。
今日の話題は「性格」について。
とりあえずありがちな話だが、自分が考えている自分の性格についての発表から始まった。
最近自分でも自覚しているのだが、やっぱり自分の性格は
人から良い人だと思われたい
性格だと自己分析している。
一言で言うと「良い格好しい」という言葉が当てはまる。
これを韓国語で言うと…
やはり説明的になるなぁ。
先生にも説明したのだが、なかなか上手い表現、一言で表す表現は出てこなかった。
人間誰でも、自分が人から悪く思われたい、嫌われたいと思う人は少ないと思う。
悪く思われても仕方が無い、それが当たり前という立場にたたせられることはありえるけれどね。
だけど、そういう立場にあっても、なお、対応によっては「そりゃ憎まれる立場だろうけどがんばってほしい」と思われるか「お前なんか死ね!」といわれるかはその人しだいだと思う。
できれは前者になるようにしているわけでして…
そのためには、人の血が通った言い方というものがあると思う。
当社ではこうなっていますけど、その理由はこうこう、こういうことだからそうなっているんです。
そう説明したって、相手によっては自分の都合ばかり主張して駄々こねることもある。
正直、物凄く疲れているときそういうことを言われて、切れてしまったことも何度もある。
だけど、切れた後は「あの一言言わなければ良かった」と反省します。
(もちろん自分も言いたいこと言ったし、それは本心であって、例えそれが原因で首になったとしても、撤回するつもりはほとんど無かったのだけどね)
だけど、その場で切れなければもう少しスムーズにトラブルを回避できたのは間違いないと思っている。
そういう意味で、自分は一種の完全系を模索していると思う。
かなり脱線しました。
今日の授業を総括すると、それまでより先生が生徒に色々なことを質問してきたと思う。
それにより、話す機会が増えたとおもう。
根気の授業が、先生の話を一方的に聞くばかりで有ったことに比べれば、かなり良いことだと思う。
私もできることならしゃべりたいと思っている人間なので、ちょっとした文法項目や、疑問に思ったことに関しても、できるだけ発言するようつ勤めている。
それは生徒のほうから、話したいんだということを先生に分かってもらうための行為でも有るし、先生の話を聞いているばかりでは知識の向上になんのプラスにもならないという現われだと思う。
考えてみれば、これまでの義務教育や航行の授業では、生徒は先生の話を一方的に聞くばかりであった。
そしてたまに先生から質問されて答えているだけ。
積極的に何かを学びたいと思ったら、授業中にでも先生に質問が出るはず。
なぜ学生時代、授業中に黙っていたかというと、今韓国語を勉強しているように、貪欲に知識を吸収したいという意識が足りなかったのだと思う。
だから学生時代、生徒は授業中隣の人とおしゃべりに夢中になるか、眠くなるかだったのだと思う。
今日は私より会話のできるK氏も出席していたことから、授業も盛り上がった。
先生も生徒の反応が一番気になるだろうから、こういう授業が良いのだと思っている。
まるで自分が先生になって授業をしているような文章だな
今日もまた、仕事上で変化があった。
明日の仕事がどうなるか、先が見えない体制の中、学校に通うのはめんどくさくもなる。
だけど、今日のような授業は大変ストレスの解消になる。
知識への欲望がまだあるうちは、まだ自分の中に向上心は残っているのだとおもう。
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