人殺し

2008年3月11日 / 宣教師の思考方式


[PENTAX Optio A10]
 今朝、六本木放送のワイドショー(ニュース番組ではない)を見ていたら、随分前に起こった殺人事件に関する話題を取り上げていた。


 現在も裁判途中の殺人犯が精神鑑定を受けたところ「現在、精神的に異常な状態である」と診断されたそうだ。
 弁護士は犯人=お客様の利益=弁護料のため「犯行時は精神的に異常であった」なんて判を押したような言い訳をするけど、これはいつ聞いてもおかしい話しだと思う。
 今回は、検察側の鑑定士も「精神的に異常である」と判断したというので、もしかしたらこの犯人は無罪放免に鳴ってしまう可能性も考えられる。
 だが、ここで疑問に思うのは、現在の精神状態がおかしくても、犯行当時は逆に心神耗弱状態では無かったかもしれないという矛盾だ。
 そもそも殺人と言う常軌を逸したことをする人間が正常であるはずが無い。
 「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉があるくらいで、どんな理由が有るにしても、人は殺してはならず、情状酌量の余地が有るにしても、大罪を犯したならばそれなりの刑罰を受けねばならぬ。
 ところが六本木放送のコメンテーターは実にさらりと素晴らしいコメントを言ってくれた。
もし私が今殺人を犯したならば間違いなく精神的に異常だと言えるが…
 だからさぁ…
 人を殺すと言う行為は一部のプロを除いてまともな神経では無いのですよ。
 様々なストレスによって、殺人と言う究極の選択を選んでしまったか、もしくは元々まともな人間生活を送っていない、社会不適合者なのかも知れませんがね…
 それをいけしゃあしゃあと精神的に異常=無罪放免であると肯定する事がどれだけおかしいことであるか考えてもらいたい訳ですよ。
 やっぱり六本木放送の番組はためになります(*^。^*)

“人殺し” への1件のコメント

  1. 奥戸商会 より:

    > 人を殺すと言う行為は一部のプロを除いてまともな神経では無いのですよ。
    新聞にコラムを書いている精神科医が同じ事を書いていました。
    実際、ちょっと妙な事件の裁判では判で押したように全て同じ手法(論理)で無罪になろうとしているのには『それが一番の早道』と分かっていても納得し難いものがあります。

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