政治とPC
2006年1月6日 / 宣教師の思考方式
朝の出勤準備。
髭を剃って、ご飯を食べて、寝間着から着替え。
この寒空の下、外に干しているワイシャツを手に取った。
うわぁ、襟や袖に物凄~く、糊が効いている…(-_-
なんだ…母親が夜中に洗濯物を干したので凍っていたのね(^^;
東北地方のあるスキー場が大雪のため休業したとか、スキー場で雪崩が起きたとか、今年の寒波に伴う雪は半端じゃない。
今日も曇天だがやはりその雪雲の欠片が流れて来ているんでしょうか。
通勤時ラジオで「耐震強度偽装問題で、政府の対応はとても迅速だった」と言うコメントが聞こえた。
めずらしく政府寄りの人が出てきたと思ったのだか、やはり良いところをついてくる。
一昨年起きた新潟地震での対応に比べたら…と続くための布石だった訳だ。
政府はこの寒さと大雪の中、仮設住宅で生活している人達にはろくな対応をしていない、何をやっているのだ!という話の流れ。
ごもっとも。
では、なぜこのような差が生まれるのか?
前回はまだ政府(総理)の心構えができていなかったから?
それで、前回の対応を反省しつつ早急な対応をしたのか?
本来、政府が変わるたびに「前回はまだ慣れていませんでした」では済まされないわけで、真相は別のところにある。
国民から預かった税金を「一部の被災者だけ」に投入してよいものだろうか?
基本的に天災は万人共通に降りかかる問題だから、それぞれ保険などを掛け対応するのが筋だろう…という考えも有りだからして、公的資金を投入するかしないかは「政治的判断」に左右される。
話は簡単。
銭ゲバの成金インチキ業者が、政治家に金を送っていたという事実が公になる前になんとかうやむやにしてしまえ!という話でしょ。
正直、こういう話を聞くとこんな政府に自分らの税金を預けていてよいものか?!はやくこの政府を換えるべきなのでは?!というように考えたくなる。
そう思ったら次はどうする?
今私が書いているように「愚痴」をがんがん書けばいいのか?
それは違うでしょ?!
ほぼ唯一といえる方法は「選挙」で信頼できる、もしくは他の候補よりましな人を選択する。
政治は「PC」のようなものであると思う。
内閣は「OS」であり、その下?にある高級官僚の方々と戦後積み上げられてきた人間関係とシステムは「OS」の下にあるハードウエアのようなもの。
「ハード」を変えるのは容易ではない。
だが、民意で「OS」の細かなバージョンアップをし、ハードウエアの不具合は吸収できる「はず」。
複雑に組み合わされた「OS」の一部に手を入れると、そのしわ寄せでそれまではなかった「バグ」が発生するのも政治らしい。
話を「震災への対応」「欠陥住宅購入者の保護」に戻すと、新潟の震災に関して「OS」はハードやプログラム上のエラーを検出しなかったし、オペレータ(総理)からの指示がなかったから動かなかった。
一方、欠陥住宅問題では「OS」が不具合を感知したので、オペレータが「OS」の指示に対応したということでしょ。
とりあえず、いったんプログラムがそういう風になっているから、出力される結果がおのずと決まってくる。
そういうものだとなかばあきらめの境地で現実を受け止めなければならぬ。
そういうオペレータとOSを選択したのは我々国民なのだから。
じゃぁ、どうすりゃいいの?
だから選挙しかないでしょ!
それでもってですね「だめなものはだめだ」という前提もおかしいのだけれど、その国民が選んだオペレータやOSにけちをつけるのも本末転な気がするのだ。
Windowsのほうが使いやすいのに、なぜMacを使っているの?って具合。
何かやりたいことがあればどちらのOS(もちろんUNIXとか他のOSもありますが)でも同じような作業ができるし、使い方を間違えなければある程度予想通りの結果も出せます。
OSが効率的にハードウエアを管理しているかとか、その作業工程が気に食わないということは多々あります。
それでも一定期間はそれを使わないといけないという前提がある。
契約期間を前にして不満や希望を言うのは間違えではないが、どうも一部マスコミや文化人の部類はそういう前提とは関係なく「Windowsのほうが使いやすいのに、なぜMacを使っているのだろうか?全く理解できない」と主張する。ちょっと腹が立つ。
でもそういう頓珍漢な話を聞いても「あなたのいいたいこと、下心はよくわかるけど、国民はそう思っていないだけだよ。」と思う。
ほとんどの国民は選挙が終われば政治に口出しすることができないと思っているようだし、今日のお昼はなに食べようかとか、週末どこに遊びに行くだとかの方が真っ先に頭に浮かぶもの。
私も今日は久しぶりに水割り大学(韓国クラブ)に行くつもりであります(^^;
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