日本語と韓国語は似て非なる言葉であると何度も書いてきた。
元々文化や歴史的背景が違うのだから、例え文法構造が「似ている」言語であっても、直訳すると韓国語らしからぬ作文になってしまうことが多々有る。
韓国文化は儒教の教えの影響からか、非常に連帯感が強い民族だと聞かされる。
その片りんが「ウリ」と言う単語一つにも現れているような気がする。
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u-ri「私達の」「我々の」「我が」
この単語の使い方自体は日本語とさほど変わらないのだが、日本人の考え方とは違った用法があるのだ。
例えば会社や学校などで「お国自慢」をしたとしよう。
日本語だと「私の故郷では○×が有名です。」と表現すると思うのだが、韓国語では「私達の故郷では○×が有名です」と、自分の故郷を自分だけの故郷ではないと考えるようだ。
同じように「私達の国」「私達の町」「私達の学校」「私達の会社」「私達の家族」と表現する。
この辺までは日本人でも何となく理解できるところだ。
ちょっと違和感が有るのが自分の家族を紹介する時だ。
日本語なら「あの方は私のお母様です」と言うところを「あの方は私達のお母様です」と表現するのだ。
なぜかというと、確かに母は自分の母だが、父にとっても大切な人であり「家族全員の母である」というニュアンスが含まれている。
「ウリ」と言う話をする時、必ず頭に浮かぶ笑い話が有る。
自分の奥さんが、忘れ物を届けに会社まで来たとしよう。
自分の課に奥さんが入ってきて、忘れ物を手渡しているのを見た同僚が「この方はどなたですか?」と質問された。
当然韓国語だと「私達の家内ですよ」と言うわけだが、「ウリ」の裏に隠れている文化的背景を知らずに、この韓国語を直訳すると「一つの課の共通の奥さん」という様に捉えてしまう恐れも有る。
この話は韓国語を習い初めて直ぐ、先生が「絶対誤解するだろう」と「ウリ」の使い方を交えて話して下さったものだ。
話は変わって、最近先生に「どの位の範囲まで『ウリ』を使うことが出来るか解りますか」と質問されて面食らった。
非常に古くて新しい疑問だったが、その先生によると「友達から『ウリ』は使わない」そうだ。
「私達の先生」や「私達の班長」は良いのに「私達の宣教師君」はなぜだめなのか?
その答えはドラマの中にあった。
太郎と花子はつい最近付きあうようになったのだが、このことは友人達には秘密にしていた。
花子は友達とお喋りをしていたのだが、うっかり彼氏である太郎のことを「私達の太郎君が・・・」と言ってしまった。
慌てて「太郎君がね・・・」と言い直して秘密はばれなかったという1シーン。
なるほど「ウリ」の使い方にはこんな意味もあったわけだ。
<01/08/20>
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