若者水彩画論(前編)

■ チョンマル、オレンマニムニダ!(お久しぶり)

 久しぶりのWebPage更新が「おたく」のコーナーになってしまった。
 このコーナーは以前から「読む人を不快にさせる」と言う傾向がある。
 つまり、書きたいことが出てきたことというのは、それだけ不満やストレスが積もっているということかも知れない。
 こんなくだらない文章でも、更新を楽しみにしているという人がいるので、大きな励みになっています。
(今回凄く硬い表現で書いていますが、この文章を韓国語に翻訳するために必要なので、ご容赦下さい)

 実は今日で3×歳になってしまった。
 以前からWebPageで発表していたことだが、現在韓国語を勉強している。
 習い初めて8ヶ月経つが、勉強の吸収力は若い人の方が早いなぁと感じている。
 一向に韓国語が上達しない私をしり目に、若い人達は「テストで良い点を取ろうと」がんばっている。

 だけど彼らの授業態度が気に入らなくなってきた。
 年齢の違い、目的意識、全て違っていたはずだが、スタートは完全に0からと言って間違いが無い。
 すでにやる気が無くなってきている人、飽きてきた人、色々いるのだ。
 彼らには「8ヶ月も韓国語を勉強してきて、自分で判断したことなのだから好きにすれば良い」と諦めの気持ちも多い。
 しかし、一番私が気になっているのは「試験に合格して、資格を取る為に勉強している」人間だ。
 韓国語を学ぶ楽しみ、喜びより「試験でいかに点数を取るか・・・」この姿勢が授業態度に表れている。
 おそらく現在日本の学校教育を受けてきた人間にとって、彼らのような勉強方法で、受験戦争を勝ち抜いてきたに違いない。

 だが、試験と直接関係のない「歌」や「文化の説明」等の時間になると、私と彼らとの意識の差がハッキリ現れてくる。
 とにかく「試験の点数に関係ないから、やりたい人だけやればいい」と言う雰囲気になるのだ。

■ ディベート

 「アリとキリギリス」と言う話が有る。
 一生懸命働くアリと、汗を流して働くことは馬鹿馬鹿しいことだと、遊び回っているキリギリス(楽器を弾いているでしたっけ?)。
 寒い冬が来て、働かず遊んでばかりいたキリギリスは何の蓄えもなく、アリの家をのぞき込んで涙を流す。
 それまで一生懸命働いたアリ達は、蓄えた食料で暖かい家の中で幸せそうに過ごしている・・・
 教訓めいた話であるから子供に「アリさんのように真面目に、一生懸命生きようね。いつか報われるときが有るから」と付け加える話だったと思う。
 だけど、その話を逆手にとって「冬になれば死ぬ運命。それまで楽しく生きていればそれで良い」という「別の価値観」が存在するようになってきた。

 それじゃ貴方は「アリ派」それとも「キリギリス派」?
 テキストが早めに終わってしまったので「アリとキリギリス」論争を、韓国語で討論しようじゃないか!という、半分遊びのような授業になったわけである。

 ところがクラスには8人の人間がいるのに「アリ派」は私一人だった。(正確に言うとキリギリス派に回りたかったのだけど、最初に圧倒的にキリギリス派が多くなってしまい、これでは討論にならないだろうと言う理由で、仕方なく「アリ派」と言った人間もいる。
 最後には先生がクラスの席順で4対4の討論が始まったのだ。

■ 若い人は「水彩画家」?

 中身はキリギリス派主流の「討論会」であったが、まぁ8ヶ月程度の語学力では会話もままならない。
 開始して10分くらいで「日本語でも良い」という事になった。

 キリギリス派の主張

 「冬になって死んでも、生きている間、楽しければいい。」
 「アリは一生楽しみを知らないで、つまらなく生きるだけだ。」
 「遊ばないと犯罪に走るよ」等々・・・

 まさに彼らに一言言ってやる、絶好の機会が訪れたわけだ。
 日本語を使うようになると、話は少しは発展した。
 アリとキリギリスという「比喩的」な物でなく「新しい価値観を求めてゆく者と古い伝統を継承する者」と論点が移っていった。

 私は「伝統派」に着いた。
 「アリ」は伝統派であると感じたからだ。
 しかし私以外はやはり「新しい価値観を求めてゆく者」に変わっていった。
 私も何のために今まで「こんなオタクにならないで」で培ってきた、真価が問われる場面でもあった。

 ふとノートを見ると、ついさっき習った単語が書いてあった。

 水彩画

 これだ!と直感的に思った。
 「伝統派は油絵の具を重ねて絵を描く。しかし若い人達は水彩画を描く。」心の中で決まった!と思った。
 ところが後輩からは

 「白い紙に自由に絵を描く。油絵の具もキャンパスに絵の具を載せてゆく。」
 「何が違って、何がいけないと言うのですか?」と切り返されたのだ。

 ふと思った・・・
「俺、何をひらめいて、何を言おうとしたのだろう・・・」
 討論会は討論にならないまま、終結してしまったのだ。

■ 油彩と水彩の違い

 どうしても腑に落ちない気持ちを引き釣りながら、私は一人で夕食を食べに行った。
 カレーライスを食べながら、一人で「油彩と水彩」の違いを考え直してみた。

 油彩は絵の具を重ねて絵を描いてゆく。
 絵の具の乾きが遅いので、キャンバスの上で混ぜることも出来る。
 絵の具は透明でないので、重ねる事が出来る。
 もちろん絵の具を重ねることなく絵を描くことも出来る。
 あれ?水彩画とどこが違うんだ?
 心の中では「人生失敗したって絵の具を重ねれば良いじゃない」と言いたかったのに。

 水彩画は白い紙に絵の具を載せてゆく。(あくまでも私の知識の中の話)
 不透明水彩、透明水彩、耐水性の水彩絵の具(リキテックスなど)、考えてみれば水彩と一口に言っても色々ある。
 下地の紙を活かして透明感のある絵を描くことが出来るが、良く考えてみれば不透明水彩、特にリキテックスなどの耐水性水彩絵の具は油絵と同じように、絵の具を重ねて絵を描くことだって出来るじゃないか!

 「一体全体、私が感じたものは何だったんだ?」

 そんな時、高校時代教わっていた、美術の先生の言葉が浮かび上がった。

水彩は自分の色を出せるようになるまで時間が掛かるんだ。
パレットの上で色を作ってゆく。
筆を付ける前に勝負が決まっているかも知れない。
油絵以上に失敗はできないんだ。

 「あぁ、これが水彩と油彩の違いか!先生ありがとう!」
 私はカレーライスを一皿平らげる間に、一つの手がかりを得ることが出来た。
 果たしてこの「若者水彩画論」は20世紀中に決着が着くのだろうか?

 後半に続く

<00/12/23>

※ このコラムは推敲中の産物であり、加筆訂正する可能性があります。

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