若者水彩画論(後編)

■ 人生と言う名の絵

 油絵だろうが、水彩画だろうが、そして音楽だろうが、数学だろうが、「美しい」と感じたり、何かしらの感動が伝われば、美術や芸術であると思う。
 それは作品を作る側と、受け取る側の感性が共感したとき「感動」となる。

 ちょっと話はそれるが「オタクの聖地」秋葉原を歩いていると、突然「絵を買いませんか?」と、若い店員から声をかけられたことが有った。
 話を聞くと絵の事を説明せず「ローンでも買えますよ。」と値段のことばかり話していた。
 つまり私が絵を気に入るかではなく、その絵を売るために声をかけているのだ。
 全くその絵の事は覚えていないが、前衛芸術でもなく、まぁ奇麗な絵だったと思う。(もちろん買いたいと思わなかった)
 だけど、私は絵を見ることと、絵を購入することは全く別の「欲」の話だと思う。
 買いたくなる絵というものに会ったことは一度も無いし、その店員の「絵は財産になるんです」みたいな下心が嫌になった記憶が有る。
 もしかしたら、その絵は今では凄い価値が出ているのかも知れないが、ポスターはおろか、カレンダーも貼っていない私の部屋には必要のないアイテムである。

 話を戻しましょう。
 良い絵を書くには「勉強」が必要である。
 芸術と言う名前の技術や、人を魅了する為の術(じゅつ)を勉強するわけである(^_^ゞ
 試行錯誤を繰り返し、自分の描きたい絵を模索していく。
 そして数多くの挫折を繰り返して、有る程度、満足の行く絵を描けるようになったとしよう。
 問題はそこからなのだ・・・

 自信を持って描いた絵を、他人はどう評価するか?
 こればかりは、絵の眼力の無い私には細かいところは解らない。
 一目見て「あぁ、何か感じるものがある」となれば、それは感動の共感があったのだとおもう。
 しかし、感動の共感が少ない絵は「下手な絵」「価値のない絵」と言う評価が下されるはずだ。
 もっとも「ゴッホ」ですら、彼の描いた絵がこれほど評価が高くなるとは思わなかっただろうし、日本の江戸時代に流行った浮世絵が、海外で高い評価を受けてから、国内でも逆輸入的に再評価される物も有る。

 さて、私が言いたいことは絵を描いているうちに、どうも気に入らなくなったとか、失敗したと思った時の話だ。
 水彩画というと、どうも小学生のころを思い出す。
 技術だとか関係なく、思った通りに絵を描く。
 中にはその頃からセンスのある人も居るだろう。
 だけど、小学生の絵は金を払ってまで買いたいと思うものは無いはずだ。
(繰り返して書きますが、子供の絵を見て喜ぶ両親や、そこに込められた思いでという、全く違う視野からの価値観は別です)

 芸術と言うものは数学のように割り切れるものではないことも解っている。
 だけど、絵を上手く描きたいと思っている人間と、絵なんて上手くならなくたって、数学や学校の勉強だけやっていれば、良い大学に入れるという人間も沢山居る。
 だから絵を上手くなりたい人間に比べて絵を描くことは「下手である」。(仮定の話ですよ)

 だけど小学校のころより年をとったからと言って、絵を上手く描けることはまずない。
 芸術は数学より価値の低い物だと評価をした人間はなおさらだ。
 仮にそういう人間に「うまい絵を一枚描いてくれ」と言ったとしよう。
 たぶん一枚位、自分では気に入った絵を描くかも知れない。
 だけど「自分で気に入っているから良いじゃない」で終わってしまうことが多いと思う。
 それが「水彩画」だったら・・・

 「水彩画」は絵の具を載せれば載せるほど、色は濁ってくる。
 何枚も紙を破いて納得の行く絵を描くことにエネルギーを費やす事自体、無駄なことだと思うかも知れない。
 だから有る程度のところで「妥協」をするはずだ。
 白い紙という、全く何もないところからの出発。
 そして有る程度自分が満足したらそれで終わり。
 評価は自分でするから、他人にとやかく言われると言うことは、プライドを傷つけられる様なものだ。

 一方油絵はどうか?
 水彩画に比べて相当書き直しが出来る。
 私の高校時代「美術部の先輩は絵を横から見れるぞ!」と言うくらい、絵の具を山のように盛っていた。
 それでも絵というものは二次元の世界だから、どんなに書き直そうと、絵の具を盛ろうとも、絵が完成していなくても、それは過去から未来へと続けた作業の途中、つまり「現在」の姿なのだ。
 そしてまだ未来へと変わることが出来る。
 水彩画に比べてやり直しがしやすい絵の描き方だと言える。

 多分、私がディベートの中で感じたことは、このようなことだと思う。
 だけど、水彩画であっても、途中から油絵の具を載せることも可能だ。
 ゴッホみたいに凄い価値があると言われる絵より、漫画家が描いたイラストに引かれるときも有った。
 だから水彩画と油彩とどちらが「金の儲かる絵の手法」であるという事ではなく、二次元の空間を駆使して、どうやって人を感動させるかが重要だ。

■ 学ぶ事をやめたら成長はない

 私も会社の中ではまだまだ未熟者です。
 だけど、10数年の会社生活、お客さんとの対応、上司との駆け引き、後輩への指導という「勉強」を続けていたら、ほんの少し前の自分が、もっと未熟だったと思うようになりました。

 それを比喩的に感じたのは、数年前、小学校の教室に入ったときのことです。
 私たちが子供の頃、座っていた椅子や机を見て、びっくりしました。
 私の頭の中のイメージは、会社で座っている椅子や机と大した違いは無かったはずなのに、まるでミニチュアのようでした。
 それ程、自分が成長したと言うことを、ハッキリ自覚したのです。
 今では体の成長は止まっていますが(体重は別)自分の体の成長は、かなり長い期間でないと実感できないものです。
 だけど、実感できないからといって、成長はします。
 心や頭は死ぬまで成長し続ける物のはずですから、実感できないから今のままで良いという理由にはなりません。

 自分の描いた絵に、自分で満足したら、それで終わりです。
 美術の先生はこうも言っていました。

 「自分の絵を下手だと思うやつは、絵がうまくなる」

■ 60歳ははな垂れ小僧

 いや〜、ちょっとオタクっぽく有りませんでしたねぇ・・・
 実はこの文章を書こうと思ったのは、もう一つ理由があります。

 やはりパソコンのメーリングリスト(ML)での論争です。
 話の発端は「パソコンが不安定だ」という話だったはずなのですが、WindowsとMacの優位性、言葉じりの揚げ足取りの様になってしまいました。

 スレットは本来のサポートから分岐してしまい、最終的には「だれそれの高圧的な論調が気に入らない」とか「君の論理は狂っている」とまでなってきました。
 でもそこで私が感じたものは「理論が狂っている」と言っている人間の方が、相手の言いたかった事を理解できていないなぁということです。
 かなり昔に描いた「問題3」の印象を持ったわけです。
 自分が使っている「たかがパソコン」のことなのに、自分のプライドが傷つけられたのごとく、興奮して論点が見えなくなっていると感じた人もいました。
 なぜ前が見えなくなったかというと「問題4」という理由も有るのでしょう。

 パソコンを使うためには御国から発行される免許は必要有りません。
 自動車を運転するためには、学科、実技の試験を経て交付される免許が必要です。
 死ぬまで事故を起こさない人間も居れば、故意に交通違反をして事故を起こす人間も居る。
 だけど一番私が怖いと思っているのは「自分はすでに完ぺきである」と思い込んでいる人間。
 「俺は30年間無事故無違反だったんだ!事故が起こったのは相手のせいだ!」と言う人が居ます。
 それは今まで気付かず、危ないことをやって来て、たまたま大丈夫だっただけか「30年運転していたのだから、今日も大丈夫だ」という、なんの根拠の無い誤解からで有ることを気付くことは無いかも知れません。

 そんでもって、最近の少年犯罪を見ていると「学校の成績も悪くなく、明るい性格のよい子だと思っていた」と言うインタビューがテレビで流れます。
 だけど「学校の勉強の出来る馬鹿」を作るのは親の責任が大きいでしょう。
 自分が学んだ当たり前の「100」を、次の世代に「100」そのまま伝えること自体、大変なことです。
 しかし「100」学んでも「80」しか理解していない人間は「80」以上の事は教えることは出来ません。
 「80」しか学べず、「60」しか理解出来なかった子供は、その子供には何を伝えられるのか?

 ここにも一つ大きなLogicの落とし穴が隠されています。
 伝えられる「100」の情報は巷にあるのです。
 「60」しか学べなかった孫も、学ぶ気になれば「100」以上のことを学ぶことが出来ます。
 そして次の世代に伝えることが出来るわけです。
 自分でも出来るかどうか解りませんが、もうこれで十分だと思った時点で、もう終わりでしょう。

 とある中学校の校長先生が60歳で定年退職されると言う席に、たまたま参加しました。
 次の人生を送る校長先生に、体育の先生はこんな言葉をおっしゃっていました。

60歳ははな垂れ小僧だと言われます。死ぬまで勉強ですから、体に気をつけてがんばって下さい。
 私が聞いた名言の一つです。

 さぁ、21世紀がやって来てしまいました。
 共に楽しく「喧嘩して」行こうじゃありませんか!

<01/01/01> 

※ このコラムは推敲中の産物であり、加筆訂正する可能性があります。

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