汚い笑い

 笑うというのはストレスの発散にもなり、非常に健康に良いことが科学的に証明されていると聞く。
 そして落語や漫才のように、練りに練った芸で人を笑わせるというのは、並々ならぬ努力と研さんが必要な、凄いことだと思っている。
 そしてその芸を見るものにも一定水準の知識と教養が無ければ、芸を理解できないのだ。

 しかし、最近テレビを付けると漫才をやらない漫才師や、芸の無い芸能人(芸無い人)が、自分達だけで楽しんでいるような、およそ芸とは言えないお笑い番組が垂れ流されている。
 もちろん、とりあえず目を通してから評価することにしているのだが、視聴者がこの程度の笑いで大喜びしているのだろうかと、思うときの方が多い。

 私が一番下らないというのは、お笑いの質だ。
 本物の芸が無い連中が出てきても、お笑い番組が成立していしまうという矛盾がある。
 そういう系統の笑いは、腹の底から笑えるようなさわやかな代物ではなく「人を馬鹿にしている」という汚いものなのだ。
 昔ドリフターズがはやっていたころ、私も欠かさず見ていた。
 だけどドリフターズの芸は、食べ物を粗末に扱ったり、下ネタがあったりと、子供に見せたくない番組の一つだったと聞く。
 だからその頃の子供は、親達のそういう意見を聞きつつ、馬鹿馬鹿しいながらも汗をかきながらやっていたドリフのコントを楽しんでいたのだと思う。

 視聴者の中には、日常生活でも「人を馬鹿にして笑う」と言うことに、何の疑問を持たない人間が増えていると思う。
 練りに練った芸で笑わされた時の「さわやかな笑い」と、人を馬鹿にした「汚い笑い」とは、同じ笑いでも全く異質のものだと主張したい。

 このような「汚い笑い」も楽しければいいのだと、勘違いしていると思う。
 仲のいい先輩には普通に喋っているが、後輩や私に対してはやたら横柄で偉そうな口調になるという人物は、貴方の周りにも一人や二人いるだろう。
 そしてそういう人間は、他人の言葉の口調や、些細な失敗に対して「馬〜鹿」と言って笑うのだ。

 そういう風潮はごくごく当たり前のことになってしまった。
 テレビドラマを作るとき、昔は簡単に取り直しのきくビデオなんて無かった頃は、非常に高価なフィルムを使っていたため、セリフを間違って取り直しになることは、非常にスタッフに迷惑のかかることだった。
 だからセリフを間違ったら神妙な顔して「すいません」と言うしかなかった。
 もしそうゆう時「あ〜間違っちゃった〜。ゆるしてチョンマゲ!」なんてやってしまったら、その俳優は即刻首である。

 私がテレビをあまり見ないと言っている理由の一つが「汚い笑い」が原因だと明言しておく。

<01/08/11>

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