44文字の手紙

 今年のバレンタインに、こんなメールをもらった。

> お前はパソコン上でしか物事を言えないのか?
> 人間というのは、実際の会話で解決するんだろう。

 正直言って、気の弱い私はこの手のメールを読むと心臓がバクバクいう。
 知らずしらずのうちに、何か間違った事をしたのではないか?とか、理論的に間違ったことを書いてしまったのではないかとか・・・
 5分ほど冷静に考えたのだが、今のところ心当たりがない。
 そして送信者を見直してみると、送信者(漢字4文字、日本人男性のようだ)にもメールアドレス(某大手プロバイダの会員であるようだ)も、全く記憶が無い。

 句読点を入れてもたった44文字のメールで、私にお説教をしたかったようだ。
 私はこの送信者(以後ノグリ氏と命名)に返事を書いて送った。
 だが、相手先のメールアドレスは現在使われていなない、もしくはいんちきなメールアドレスだったらしく、すぐ送り返されてきてしまった。

 ハ〜(-.-)y-゜゜゜
 ノグリ氏が送ってきたメールの内容は、一見とてもまともの様に見える。
 だが、私にしてみれば相当穴だらけなご意見に感じるのだ。
 この44文字のメールを、私なりに色々な角度から解釈してみようと思う。

■ お前は

 まずこの書き出しからしてよくわからない。
 「お前は」というからには、宣教師こと、私のことを言っているのだろう。
 もしノグリ氏の手違いで、私以外にお説教をしたかったのなら別に構わない。

 そもそもノグリ氏は、私と面識の有る人なのだろうか?
 もし面識がまったくなく、私の書いた文章だけ読んでこんなメールを書いたのであるのなら、ノグリ氏は非常に直感的に、表面的に物事を言っているに過ぎないと思う。
 パソコン上でしか物事を言えないのか?って言ったって、パソコン以外の私の姿を知らないわけでしょ?
 僕だってノグリ氏のことを全く知らない。
 全く知らない人からでも広く意見を頂けるように、メールアドレスを公開しているのに、ノグリ氏は一方的にメールを送って知らんぷりという事なのかな?

> お前はパソコン上でしか物事を言えないのか?

 つまりそれはノグリ氏、あなた自身のことじゃないの?

 もしノグリ氏が何らかの事情で、ご自分の素性を明かせない、私と面識の有る人間であると仮定してみよう。
 「お前は」と言うからには、私より目上の方なのかな?
 それならメールアドレスを詐称しないで、もっと堂々としていればいいのに。
 自分の身分を明らかにしてもらいたいものだ。

 もし私より目下の人間であるのなら、とても失礼なことではないのかな?
 いんちきなメールアドレスで個人を特定させない、尻尾はつかまれないと思っているような卑怯者の意見には、最初から力が無いと思うのだが・・・
 もし仮に自分の意見が正しいと思っているのなら、もっと堂々としていればいいじゃないか。
 だから僕は君のことを「ノグリ」と命名したのだ。

<02/02/20>

■ パソコン上でしか物事を言えないのか?

 メールをもらった直後、この質問について返事を書いた。
 だけどノグリ氏のメールアドレスは現在使用されていないメールアドレスで、僕がものを言いたかったのに受け付けてもらえなかった。
 私はノグリ氏が誰なのか全くわからない。
 困った。
 ノグリ氏が嫌う「パソコンの上でしか物事を言えない」人間になってしまったではないか!

 この事実だけ見ても、仮に私が「パソコン上でしか物事が言えない」人物であったとしても、少なくともノグリ氏からだけは否定される筋合いは無い(-.-)y-゜゜゜

 ノグリ氏が言いたかったこともわからないでもない。
 私のWebPageの一部は、私の嫌いな人物のことや、不快に思っている事柄などを書いている。
 私が忌み嫌う「反オタク」には、その語り口調が気に入らないと思う。

 つまりノグリ氏は「お前はパソコンで文章を書く以外は、他人とコミュニケーションをとれない、チビでデブで眼鏡で、アニメ絵の紙袋を持って秋葉原にたむろしている根暗なオタクなんだろ!」とでも言いたいのであろう。
 まぁ、外見はそう言われても仕方がないのかなぁ・・・

 ノグリ氏が私を直接見て判断しているのなら、それはそれで構わない。
 ノグリ氏の目には、私がパソコンでしか物事を言っていない様に見えているのだから。
 良くも悪くもこのスタンスは当分変わらないだろうから、僕が見えないところでバンバン陰口を叩いてくれたまえ。
 例えそれが耳に入っても大した事ではない。
 僕は僕なりに考えに基づいて行動しているだけである。

 もしノグリ氏が本当に私のWebPageを見ただけで、現実社会の私の姿まで見えたのだったら凄いことだ。
 その技術をもっと社会のために役立てて欲しい。
 ノグリ氏はノグリ氏の信じた道を進み、自分の愛した人と結婚して、子供を育て、幸せな老後を送って欲しい。
 早く結婚しなきゃみっともないとか、資産家の娘と結婚して贅沢三昧をしたいだとか、ノグリ氏がそういう打算的な人であっても、それぞれの人生観だからご自由に。
 負け犬の遠ぼえだと思って、また御叱りのメールでも下さいな。

 まだこの文章には突っ込みたい部分が有る。
 後半の「人間と言うものは・・・」のくだりにも関係してくる。
 ノグリ氏は私のWebPageを見て上のような文章を送ってきた。
 凄く見落としやすいロジックなんだけど、ノグリ氏は面白いことを言っていると思う。
 WebPageというのは、一種のメディアであるという点だ。

 新聞を読んでいるうちに、記事の内容が気に入らなくなって「新聞記者!お前は新聞上でしか物事を言えないのか!」と言ったり、テレビを見ていて、コメンテーターの口調が気に入らなくなって「おい!コメンテーター!お前はテレビの中でしか物事を言えないのか!」と口走るようなものだ。
 自分の意見を人に伝えるため有効な手段が「実際に会って話す」こと以外、よもや考えられないとは言わせませんぞ。
 ご自分は返信不能のメールアドレスを使ったのだから、私の言い分は始めから聞く耳もたないという、一方通行の意見は嫌いです。

 体に障害があって、外部とのコミュニケーションをInternetで行なっている人だっている。
 そう言う人に「お前はパソコン上でしか物事を言えないのか!」と言えるのですか?
 物理的に遠くにいる人間にも、簡単に自分の意見を述べたり、コミュニケーションをとれる便利な道具がInternetであり、電子メールではないのですか?

 Internetに意見を書くのも、直接会って話をするのも、テレビや新聞に投書をするのも、一つの手段です。
 くどいようだけど、「パソコンでしかものを言えないのか?」という見解は、非常に視野が狭い人間の発言だと思う。

※ 障害者の方をだしにして申し訳ないが「障害者なんか、この世から全て居なくなってしまえばいいのに」という強烈な一文を読んだことが有る。
 凄く誤解を受けやすい文章だが、この言葉の裏に隠されている筆者の気持ちを読んで、この表現も有りだなと思った。
 この話はいずれ別の機会に。

 私のようにたった44文字の手紙から、だらだらと長い文を書くのが絶対に良いとは言えないと思う。
 だけど自分がどこの誰だか名乗らず、具体的な間違いを指摘せず、漠然と「お前はおかしい」と言われても説得力が無い。
 説得力が無いというのは、発言者に私を納得させるような「心」がこもっていないからだと思う。

<02/02/21>

■ 人間というのは、実際の会話で解決するんだろう。

 この部分に関しては、前回かなり意見を述べたので、なるべく重複しないように意見を述べることにします。

 ノグリ氏の主張として

  • 言いたいことが合ったら、男らしく正々堂々と、直接話しあって問題を解決するのがあたりまえだ。
  • こんなHomePageに愚痴を書いても問題は解決しないぞ!

と、言うことだと思う。
 すごくまともなご意見だとは思うのだが、そこが私とノグリ氏と意見が対立するところなのだ。

 私がWebPageで愚痴を書いているのが事実だが、普段の私がどのようなスタンスで行動をしているか、ノグリ氏はわからないはずだ。
 WebPageで気に入らない人間を罵倒した文章を書いても、普段私は不平不満をほとんど言わない事を心情としている。
 私の普段の行動を見ていない人間が、不平不満を漏らさないと聞くと、やっぱり人とコミュニケーションを取らず、問題を解決していないと思うかも知れない。

 ところがどっこい!
 「解決しなければならない問題」と思われている問題など、私にとって解決しなければならない問題ではないということなのだ。
 つまり、私が自分の目標どうりに行動できない障害物であるのなら、手段を選ばず障害物を排除するだろう。
 だが、その対象が「私の気に入らない人間」で有る場合、排除だけが唯一の手段なのか?である。

 これも信じてもらえるかどうかわからないが、私が人を嫌うというのはめったに無いことなのだ。
 それが同じ職場であるならなおさらだ。
 私がいけ好かないやつだと思っていても、それを相手に直接口にしたら肉弾戦が起きるだろう。
 相手は一応それなりの人生経験を積んだ、それなりの人間なのである。
 実際に使えるかどうか抜きにして、五体満足であるから仕事を与えてやれば仕事をする能力は持って居る。
 今何をしなければならないか?と聞かれたら、とりあえず与えられた仕事をそれぞれこなせば良いだけである。
 だから私は与えられた仕事をこなしているだけだ。

 私は自分とは違う「仕事のこなし方」をしている人間が、非常に気に入らないから、愚痴や不満を書くことになった。
 そして、なぜ相手の行動が気に入らないかを確かめるため、自分の考えを整理してWebPageに載せたりしてきた。

 だが、一番の問題は外に有る。
 相手の意見と真っ向から対立したとき、どうしたら良いかだ。

  1. 相手の主張を変えさせ自分に賛同させる
  2. 自分の主張を変えて相手に賛同する
  3. 相手を排除する
  4. 自分がその場から去る
  5. 何もしない平行線のままでよい

 とりあえず適当に考えても、いくつかの案が頭に浮かぶのだが、自分は間違ったことをしていないという自負心だけは捨てたくない。
 あまりにも悔しくって一人で酒をのみ、べろべろになりながら母親に不満を漏らしたこともある。
 夢の中に嫌なやつが出てきたので殴りかかったら、ベットの横にある灰皿をぶちまけてしまったこともあるし、同じように夢で唾を吐きつけてやったら、本当に布団に唾を吐いてしまったこともあった。
 それを実際やってしまったら、私が与えられた目標を放棄することになる。
 私の理想としては相手の馬鹿な考えを改めさせることであったが「言わなければわからないやつ」「言っても聞かないやつ」には馬の耳に念仏だ。
 私がWebPageに書いたことは、書かれた当事者も知っていたことだし、おかげで一触即発のぎすぎすした雰囲気になった。
 相手もどれだけの自負心を持っているか知らないが、自分の主義を変えるつもりは無いようだから平行線のままで構わないと判断した。
 そもそも「勉強とは試験で良い点数をとること」だとか「勉強は嫌だけど、命令されたのだから仕方がない」「適当な点数を取っていれば、あとは遊んでいても大丈夫」だとか言う考え方は、昨日今日、身に付いた物ではないだろうし、それを改めさせることなど無理な話だ。
 それとくしゃみをする時、手をあてがわないだとか、くちゃくちゃペチャペチャ音を出しながら物を食べるとか、先生は勉強を教える仕事なのだ→自分はお客様だ!という意識は親の教育に左右されるのでしょ?
 それが普通だと思っている人間には「馬鹿がくだらないこと言っている」としか感じないのだから、もう書いていて頭くるやら、飽きれるやら・・・
 いい加減、そんな事でいらいらしているのが馬鹿馬鹿しくなったし、ちょうどクラス替えが行われたのを機に筆を止めた次第である。

 ここで絶対に忘れてはならない事が有る。
 この問題を解決するのは当事者かも知れないが、問題をジャッジするのは誰なのか?である。
 当事者がそれぞれジャッジすれば、自分の勝ちだと思うのが普通だ。
 だが、審判の視点や目的が違うとジャッジは玉虫色になる。
 演技者はそのジャッジに従わなければならないか?
 ここで出す私の答えは「ジャッジをする人間が信頼のおける人間なら従う」ということだ。

 自分の演技に自信があったのに、他人の目からみれば見劣りしていることもあるだろう。
 他人を見て批判をするのは以外と簡単だが、自分が完ぺきな演技が出来るのかと聞かれたら、まだ心細い。
 反省と挑戦、日ごろの努力しかないだろう。
 だからそう言うことも含めてWebPageに愚痴を書いている。

 話しを元に戻すと、私はノグリ氏のジャッジを「従うほどの効力を持っていない」と判断しているわけだ。
 ノグリ氏はさぞかし怒っていることだと思う。
 「私の意見は正しいんだ!従わないお前は狂っている」とか言っているのかも知れない。
 逆に、もしかしたら私の意見など世間の意見からすると、阿呆臭くって聞いていられない論理なのかも知れない。
 だけど、現実社会ではまだ私は見捨てられていないようである。
 私は現実の社会の中でも、まだまだ好意的に思って下さっている方もいらっしゃるのが救いだ。

 久しぶりに自分の意見を書く切っ掛けになったノグリ氏には大変感謝をしている。
 ちなみに「ノグリ」とは韓国語である動物の名前であるのだが、その内「役に立たない韓国語」にでも登場させようかと思うので、私にまだ興味が有るのなら、たまにそちらの方も目を通していただき、感想を頂戴したいと思っています。

<02/02/23>

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