格差社会だって?

2006年4月17日 / 宣教師の思考方式

 疲れがたまっているのか、ベットでインターネットをみているうちに爆水してしまうことが多い今日この頃である。
 どうも私の各文章には「波」があるようで、一つの話題や対象に対して連日書き込むことが続くこともあれば、ラーメンの感想で終わる日もある。
 今回も1週間ブログ日記を書かなかったが、その間もマスコミや政治に関して書きたいことはたくさんあった。


 今朝のワイドショーで、どこかの県の補欠選挙が行われていると聞く。
 当然スポットライトを浴びるのは
小泉自民VS新生小沢民主党
ばかりである。
 もともと同じ「穴の狢」が仲違いしているだけのような気もしないでもない。
 実際、総理大臣といえども、政治を動かしているのは全く国民の意思が反映されない「高級官僚」が担っている。
 数年に一度、選挙が行われ「民意を問う」なんてことをやっていると思うが、既得権益の温床になっている「高級官僚」「国家公務員」の牙城は、時の外務大臣「田中眞紀子」氏でも難しかったのだからどうしようもない。
 でも、ベストよりベターを選ぶしかないのが選挙なのでしょう。
 実はこのような批判めいた文章はあまり良いことでないと思っている。
 人を悪く言うのは非常に簡単である。
 それじゃあなたは何が出来るの?と言われても、日常自分に与えられた仕事と責務を全うするのに精一杯だし、政治家になることも出来ないだろう。
 そして人を批判ばかりしている親の元で育った子供がとんでもない行動を起こすという話を、どこかで聞いたことがある。
 早い話が、自分の子供を非行に走らせたければ
政治家・先生・公務員などのお役所を駄目だ駄目だと批判する
ことが、もっとも手軽な方法だと言う話だ。
 それじゃ批判は全部駄目かというとそうではない。
 儒教精神に則れば「民衆を率いて行く上の立場の人間は、常に清廉潔白でなければならず、民衆の親のごとく、民衆に接しなければならない」ということ。
 つまり、親が悪いことをしていれば、子供がそれを正しい方向に導かなければならないともいえる。
 上の立場の人に、本来あるべき姿に戻ってもらいたくて文句を言う訳ですよ。
 マスコミがクローズアップするのは悪い事案だけ。
 この体制で美味く機能している部分は絶対に有るし、政府や政治体制に不信感を植え付けるためにやっていると思った方が納得できる部分もある。
 そうでなければ、日本が世界に誇る国にはなれなかったのだから。
 ちょっと話が外れるが、昨日のワイドショーで
最近日本では市民デモが少なくなった
という特集をやっていた。
 お隣の国韓国では、ことあることに政府の方針に大して反発し、激しいデモや抗議行動が行われているようだ。
 以前取り上げたことがあるが、自国の映画産業を守るために行われていた「スクリーンクウォーター制度」を、アメリカ?からの圧力で見直す方針を発表したところ、韓流スターが一人デモを行い、日本でも話題になった。
 そうかと思えば、売春防止条例の強化を打ち上げた途端、韓国の職業売春婦が
我々の生活を守れ!
と抗議集会・デモを行ったとか…
 主義主張を言うのは自由だし、デモを行うことも自由を勝ち取るための権利であるとは思うけど、「それは問題有りだろ!」と言う部分を抜きにして主張をするのは、端から見ていて疑問が残る。
 それも「既得検疫」の主張みたいなものだからね。
 それじゃ日本のデモが少なくなったのはどうしてだろうという問いに対して、
日本人が個人主義になった
平和になったから

と、コメントする人が多かった。
 過去の話だからリアルタイムで生きていない私としては、当時の状況を理解しづらいのだが、デモが続いていたあの頃、日本はまだまだ貧しかった。
 そして、その鬱積したものを国歌に対してぶつけていたという背景がどこかに有るような気がしている。
 春闘だって、ようは金よこせ!賃金あげろ!の世界でしょ?
 その中で「会社は従業員の給料を搾取している!」と主張して労使交渉を行ってきた訳だが、バブルを迎えた日本では、本当にウハウハ金貰っていた時期が有る訳ですよ。
 労使ともにウハウハだったころバブルを迎えて労使交渉を行っても金はやっぱり出せないということが当たり前になった。
 仕方ないよ…バブルはじけちゃったんだもん悲しい
 誰が悪いの?政治家さんですか?
 あの時、がっぽがっぽ稼いだ金を貯金しておけば最近まで平均した生活が出来たのに、無駄遣いがすぎたつけが回ってきただけじゃないの?
 そんなイメージです。
 話を戻して、現在「格差社会」だとのたまう人がいる。
 勝ち組と負け組、貧乏人と金持ちの格差がもの凄く開いていると言うことらしい。
 今回行われている地方補欠選挙でも、とある政党がそんなことを主張していた。
 格差社会といえば、お隣の国:韓国でもかなり問題になっているらしい。
 金儲けが出来る人がいる一方で、路上生活者のテント村が拡大しているとのこと。
 通常の社会は下記・左側のような感じが健全であるのだが、現在では右のような感じになっているということらしい。

 これはどういうことなのか?
 ようは、今までの終身雇用制度が壊れ、年を取るごとに給料が上がって行くエレベーター式の給料形態ではなく、個人の能力や出来高で給料が変わって行くという厳しいものである。
 先日、韓国語学校の授業でも
あなたの勤める会社は年俸制ですか?それとも月給制ですか?
なんていう質問をされて面食らった。
 まだまだ日本の会社は月給制を取っているところが多いのじゃないですかね。
 だが、韓国ではすでに年俸制の方が一般的になっているという話である。
 世の中、どんなに不景気でも、その一方でうまいことやっている人間は必ずいる。
 その中には悪いことをやっている人間も確かにいるだろう。
 だけど、地道に努力して財を成してきた人も絶対にいる。
 格差社会だと主張するマスコミはどうもイデオロギー的に染まっている気もしている。
あなた達は現在の政府でなければもっと豊かな生活が出来るのです!
 そういいたいのだろうけど、政治家が一人二人変わったところで、現実にはなかなか世の中は変わらない訳で、「格差社会」なんてキーワードを出してくること自体、もの凄くイメージ戦略的なものを感じる訳ですよ。
 格差社会が悪いと感じるのは、例えば経済的に潤っていないとか、自分にコンプレックスを持っている人達なのかな。
 自分の収入がそれなりでも、そこそこ楽しい日常というものはあるわけで、それこそ心の持ちようではないだろうか。
 格差社会をしきりに主張していた政党は、一応二大政党になったこの国会で、箸にも棒にもかからなくなったところ。
我が党と政府与党との格差が増大しています!
 そんなこと言われたって、さんざん実現できない夢幻のようなこと言ってきたし、そうとうひどいこと陰でやってきたのだから、総スカンされただけでしょうが。
 格差社会とはいままでぼやけてきたものが、少しはっきりしてきただけということではないですかね?
 格差はあって当然ですよ。
 単純に収入の多い人間をねたむように仕向けている方がおかしいと感じる訳です。
晴れ

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