■ ちょっと一息
自由の家、会議棟と、ろくに写真も撮れずに追い立てられるかのように移動してきた我々だが、この第5監視哨舎では煙草を吸うことも出来たし、我々を見守る憲兵さんと記念写真を撮ることも出来た。
先程まで時折小雨がぱらつく、あいにくの天気であったが、若干青空も出てきて尚更蒸し暑くなった。

これから板門店ツアーに参加する人に、ちょっと一言。
第5監視哨舎から左手下に第3監視哨舎と「帰らざる橋」が見える。
季節によっては樹木の関係で見づらいときも有るだろうが、この後バスに乗って「帰らざる橋」の前を通過するだけなので、ゆっくり写真を撮ることが出来るのはこの場所しかない。

■ 斧殺人事件
パンフレットの受け売りであるが、この第5監視哨舎周辺から上の写真の第3監視哨舎を隠すように「ポプラの木」が植えられていたそうだ。
夏にもなれば、そのポプラの木は第3監視哨舎を見えなくしてしまうほど、枝葉を広げてしまう。
そこで年に一回、枝の伐採をしていたのだが、1976年8月18日、伐採作業を始めようとしたところ、北朝鮮の兵士が集まり、作業の中止を訴えた。
それはなぜか?
ポプラの木が第5監視哨舎からの視界を防いでいれば、北朝鮮側が進入してきても分からないからである。
アメリカの将校は作業を強行しようとしたところ、北朝鮮側は「ヤンキーを殺せ!」と襲いかかり、伐採に使っていた斧を取り上げ、二人のアメリカ人将校の手足を切断し、わずか4分の間に「帰らざる橋」を渡り逃げてしまったそうだ。
この惨劇が起こった後、このポプラの木は枝だけでなく、根元から伐採され、現在「斧殺人事件」の慰霊碑が置かれている。
写真では分かりづらいが、慰霊碑の周りの丸い台座は、かつて有ったポプラの木の幹の太さだそうだ。

バスの中から一瞬しか見えません。
■ 帰らざる橋「BRIDGE OF NO RETURN」
映画「JSA」で取り上げられた分断を象徴する橋も、バスの中から一瞬しか見ることが出来ない。
この橋を渡ればもう数十メートル先は北朝鮮だ。

橋の左手にも、軍事分界線の看板が見える
コンクリートで出来た小さな橋だが、現在この橋を渡ることは「亡命」と見なされ、一旦渡ったらもう二度と「祖国」に戻ることが出来ない。
もともと同一民族の国であるのにも関わらず、この橋も分断の象徴である。
映画「JSA」の「JSA」とは「共同警備区域」と言う意味。
「斧殺人事件」等が起きる前までは、38度線付近はかなり自由に南北の兵士が行き来していたと聞く。
その名の通り「共同で警備をしている区域」であったがわけだ。
だが、現在「JSA」という名称は過去のもので、「DMZ(非武装地帯)」と変わっている。
非武装地帯と言っても、実際戦争を起こそうと思ったら、ここから攻めてゆかねばならないわけで、50年間人間の手が加えられていない、自然の楽園という一面とは裏腹に、地雷などがいたるところに設置されているらしい。
この「帰らざる橋」を南北の人が自由に行き来する日は来るのだろうか?
そして、数十年後、私がこの橋を観光客として渡る事が出来る日が来るのだろうか?
バスに乗った最後の数分間は、このツアー全行程の最大の見せ場と言えるだろう。
何度も書くが、ここを訪れるときには「予習」をお忘れなく。
<02/10/21>