自殺防止法案?
2006年6月15日 / 宣教師の思考方式
今日は比較的早く仕事が終わり、普段より早くビールにありつくことができた。
もっとも、今年の春は一週間に酒を飲む日より、酒を飲まない日のほうが多かった。
ストレスの問題もあるのだろうが、この変貌は精神的なものというより、背後霊が関与しているのではないかと思うくらいの事態であった。
霊的な現象というものに対して、科学を持ち出して「科学的でない」という意見はもっともだと思う。
だけど、私は宗教は特別信じないけれど、霊的なものは
ありえる
と考えている。そしてどうしても心情的に否定できない人間なのである。
私の周りにも特定の主教を信仰している人もいる。
だけど、その人は本当に神様というものを信仰しているのか?
客観的に見ると、ある特定の宗教のトップにいる独裁者のような人間の言いなりになっていることのほうがあまりにも多い。
身近なものとしては某与党を母体としている宗教団体。
あまりにも身近であるため、苦言を述べることを避けてきた部分も有るのだが、やはりその宗派をまとめる「長」が、宗教団体の枠を超えてなにか権力を握ろうとしていることが明らかだ。
有名な話だが、その宗教に加入している人が亡くなったら、ご霊前を根こそぎ持っていってしまうなんて事が当たり前のこととなっているらしい。
どうしてそういうことがまかり通っているかと言われても、その宗派を信じている人の心の問題だからあまり追及したくないことだが、ご家族に不幸があれば、それなりの出費が出るのがこの日本である。
つい最近も、先輩の家族にご不幸があり、葬儀に参列したのだが、急な不幸でご家族が一時的にでも金銭的に苦労をするからという意味があるからお香典を出していると理解している。
それを横から出てきて「わが宗派はそうなっていますから」とご遺族のために渡したお香典を、特定の宗教団体の運営費に使われてはお香典を出す意味が無い。
まぁ、そういう宗教団体に加入している葬儀には運良く主席していないからいいけれどね。
さて、今日のニュースで「自殺防止法案」なる法律が制定されたなんて聞いた。
なんだそりゃ?
全然意味が分からん。
ネットで調べたら、某宗教団体以上に個人崇拝の政党ホームページで、その内容の上っ面だけ見ることができた。
同法案は、自殺が個人的な問題としてだけでなく、背景にさまざまな社会的な要因があることをふまえ、自殺防止の社会的なとりくみが必要だとしています。このため国や地方自治体が自殺対策を策定、実施する責務を有し、事業主にも労働者の心の健康の保持を図るため必要な措置を講ずるよう定めています。
なんなんだろうね。この法案は?
結局「勝ち組、負け組み」という単純なイメージ戦略から派生して、負け組みは自殺するしかない世の中はおかしいなんてことを具現化するために作られたのではないだろうか。
私も多かれ少なかれ、死んだら楽になるだろうなと思ったことはある。
死ぬのは物凄く簡単だと思う。
自分ひとりが死ぬことによって、例えば保険金で家族がその後の暮らしが潤うこともあるかもしれない。
だけど、そんなことが本当にありえるのだろうか?
自分の命の値段がいくらであるか、それまでかけていた保険金の額にもよるだろうけど、後先かまわず死んでしまう人間はその場しのぎの苦しさから逃れるために死を選ぶことのほうが多かったとしたら…
残された家族は、遺族としての悲しみを味わう間もなく、更なる借金苦を体験するなんてことも…
たんなる借金で命を落とすくらいなら、自己破産をしたほうがましである。
日本人はもともと生真面目な性格の民族であるからして、一度借りたものを律儀に返そうと考えがちだ。
もちろんそれは美徳ではあるのだが、今の収入ではとてもではないが返せない借金になったのなら、自己破産するのがいいのだろうな。
こういう話題の対極にあるのが村上ファンドだろうか。
村上代表は
金儲けして何が悪い
と豪語していた。
正直言って、インサイダー取引をしようが、村上氏の主張していたことに対して否定はしません。
ただ、ルールを外れたらぱくられる。
だから、同じようないんちき商売をやっている人間は
うまくやっている
わけである。
うまくやっているといっても、一般人が考えているようにパソコンの前で株を売り買いしているだけではないのですよ。
それなりに自分のみをさらして、いんちきな商売をいんちきに見えないように工夫をしている。
そういう人の人生は物凄く過酷なものだ。
寝る間も惜しんで人と会い、酒を飲み、女を抱き、麻薬をやる。
なんでそんな人生を選んだのだろうと思うくらいに、自分を常にひりひりした状態に持ってゆく。
その人生は常人が考えているより遥かに濃いものらしい。
そういう人達は、常人には考えられないスリリングな趣味を持つらしい。
バイクを飛ばしたり、命を懸けたスポーツをしたり、麻薬に手を染めたり…
そして若くして財を成し、早いうちに老後を楽しもうと思っているらしい。
まぁ、私の知るそういう人は、老後を楽しむ前に●×▲♯αΔ…
金が無い不幸と金が有る不幸
金が有るほうが少しだけましなだけだ
そんな言葉を聴いたことがある。
確かに金銭的に裕福な家庭であっても上手くいっていない家庭というものはあるのだ。
そういうときにこそ、宗教というものを考えたくなる。
幸せとはなんぞや?
難しい問題ですね。
自分は幸せというものに対してあまりこだわりを持っていないからかもしれない。
結婚というものに対して積極的でないし、仕事上でも向上心が無さ過ぎると見えるだろう。
だけど、あと数十年後、天寿をまっとうしようとするとき、楽しい人生だったと感じたらそれでいいと思っている。
もっと向上心をもっていたら、もっとアクティブに行動していたら、もっと楽しい人生になるだろうと思うこともあるけど、今の自分は不幸であるとまで考えられないですから。
酔っ払って変なことを書いてしまいました。
明日も仕事です。
とりあえず明日の仕事を全うすることだけ考えましょう
のち
>自殺防止法案
交通事故で死亡する3、4倍もの人達が自殺している事実を考えると方向性は分からないでもありません。
でも、一体何をどうするのかが見えない法案なのは間違いないですね。