「2004年08月」の記事

歌を歌おう

2004年8月10日 / コラム

■ 勉強の壁

毎日毎日、僕らは鉄板の~♪じゃなかった。
韓国語上達のことばかり考えて、単語帳や教科書を穴の開くほど見返しているのに、なぜだか韓国語が上手く話せない。
私自身、そう言う状態を経験してきたからこそ言うのだが、焦る必要はどこにも無い。
「ローマは一日にしてならず」と言う諺があるように、語学取得に近道があるわけもなく、薄皮を重ねて行くような地道な努力なくして、一定レベルの段階に至る事もできないのもまた事実。
だが、自分の実力が他の人に比べて伸びないと、悲観してばかりいるのもいけないと思う。
今は出来なくて当たり前。
だけど今勉強を辞めたら何にもならないし、あくまでも趣味で勉強しているのだからと気長に取り組むのが良いと思う。

以前先生から言われたことなのだが、語学は長年こつこつやっていてもかならず壁にぶつかるという。
語学のレベルアップは階段のようなものだと表現する人もいる。
初期の頃は一段一段の階段が現れるのが早いけれど、ある時期を境になかなかステップアップの階段が現れなくなってくるというのだ。
しかし、それに諦めずに勉強していると、ある日突然ポンとレベルアップしたと実感する日が来るという。
たまに落ち込むことも必要かも知れないけど、前向きに勉強して行きましょう。

そう言う時こそ、カラオケボックスに行って、韓国語の歌でも歌ってみてはどうだろう。

■ 歌を歌うと分かること

これから書くことは、私個人が勉強している内に「歌ってもの凄く勉強になるな」ということのレポートである。
異論がある人もいると思うが、暫くおつきあいいただきたい。

まず、カラオケボックスにでも行って、一度も聴いたことのない歌を歌ってみて欲しい。
例え、それが母国語の歌であっても、全く歌えないはずだ。
画面では歌詞をなぞるように色が変わって行くのだから、その順番で文字を発音すれば良いだけなのに、その台詞をどういう音程で歌って良いか分からないし、どこで盛り上がって良いかも分からず、一本調子でぶつぶつ独り言を言っているようになってしまう。

それでは次に、聞き慣れたコマーシャルソングやドラマの主題歌を歌ってみて欲しい。
さぁ、どうなるか。
コマーシャルソングの場合、さびの部分だけしか覚えていないので、おそらくその他の聞いたことがない部分の歌詞は、全く聞いたことがない時と同じに「独り言」状態になってしまうはずだ。
聞き慣れたドラマの主題歌を歌ってみると、少しだけさまになると思う。
CDでも買っていないと2番目の歌詞がわからないが、大抵の歌は1番と2番のメロディーはほとんど同じなので、初めて見る歌詞でもそこそこ歌えるはずだ。
ただ、2番目の歌も聴いたことのある人には、ちょっと違和感を覚えるかも知れないが・・・

最後に、毎日のように聞いている歌を、歌詞を見ないで歌ってみて欲しい。
実は私もそうなのだが、意外なことに1番と2番の歌詞が混ざってしまったり、歌詞が出てこなかったりする。
これは画面に歌詞が出てくるカラオケに慣れきっている為の弊害かも知れない。

歌を上手く歌えると言うことと、言葉を上手く話せることは非常に似ていると思う。
逆に、歌を上手く歌えない理由の中に、語学上達の鍵が隠されていると提案したい。

■ 上手く歌を歌おうと思ったら

どうやったら歌を上手く歌えるようになるか考えて欲しい。
プロの歌手のように、発声や唇の使い方、マイクの位置などを真似しようという話しではない。
普通、カラオケを歌うために歌を練習するというのは、とにかくその歌を繰り返し聴き、口ずさむと思う。
そして、カラオケボックスなどに行って、実際に歌ってみる。
高低が幅広い歌やテンポの速い曲だと、初めのうちは声の出し方に違和感があるかも知れないし、中には声が裏返ってしまい、自分のノドでは歌えない曲であることも実感してしまうかも知れない。
だが、どんな曲でも練習をしている内に段々と自信を持って歌えるようになるはずだ。
もっと上手に歌おうと思ったら、歌詞を暗記し、歌手が歌っているのと同じように息継ぎを行い、声帯を震わせたり感情を込めたりするようになるだろう。

まぁ「歌を上手く歌おうと思ったら?」という大風呂敷を広げてしまったが、プロの歌手ではないのだから、音痴であっても好きな歌を気持ちよく歌うのが一番重要なことなのだ。

歌が下手だと感じると、恥ずかしくて人前で歌えなくなる。
自信がないので声が小さくなる。
無理矢理歌っても面白くないので、人の歌を聴いてばかりになる。
その悪循環から、好きな歌を気持ちよく歌うという一つの楽しみを、自分の努力不足から放棄してしまっているようなものなのだ。

■ 歌を歌えなかった頃

私が韓国語を勉強し始めた最初の年、私は歌の翻訳も歌を歌うのも非常に苦手だった。
まず、圧倒的に覚えている単語量が少なかったうえ、文法の勉強が足りなかったため、本短い歌でも翻訳時もの凄い時間が掛かった。
ところが、それだけ時間をかけて翻訳した歌なのに、あらためてその曲を聴いても歌詞が理解できないのである。
そして実際にその歌を歌おうと思っても、とてもではないが口がスムーズに動かなかった。
歌詞の意味が分かっていない上に、単語が発音できないのだから、人に聞かせられるようなものでは無かったと思う。
だが、あきらめず一つの曲を何度も歌っている内に、自分が今歌っている歌詞の意味を理解しながら歌うことが出来るようになった。
また、スムーズに口が動くようになったし、濃音激音も発音できるようになってきた。
そして、その歌の歌詞を紙に書くことが出来るようになった。

今ではネイティブでも舌を噛むような早い歌を歌えるようになってきたのだが、いったい、歌が歌えなかった時と、歌が歌えるようになった時と、何が違ったのだろう?と不思議に思ったのがそもそもこのコンテンツを書き始めた理由だったりする。

まず語学の実力が伸びたというのは、まず相手の話を聞き取れて、それに対する自分の考えを話せることだ。
文章の読解は、そこに分からない単語が書いてあっても、辞書を片手にじっくり時間をかければ誰でも出来る。
だが、会話となると話が違ってくる。
よく聞く話しだと思うが、外国語をそのまま聞いて理解し、外国語で考え答えるようにならないと、いつまで経っても語学は上達しない。

そもそも、どんな国の子供でも、母国語を覚えるのに、まず文字から勉強する人間はいない。
とにかく単なる音としか思えない相手の声を聞いてその言葉を口まねする。
そのうちその言葉が意味のあるものだと理解するようになり、その文法と単語を並べ替え、短い言葉を話し出す。

小学生位になると、もう大人と同じように話しをするようになるが、大人と何が違うか?
それは単語数とディベート能力だけだ。
いくら体ばかり立派になっても「超~、うぜ~。超~むかつく」程度の会話能力しか無い人間は、相手の言っていることが理解できないし、相手を説得する能力も無いでしょ。

外国語を長いこと勉強しているが、リスニング能力はそれなりに伸びたものの、会話能力があまり伸びないと悲観している人がいると思う。
実は偉そうなことを言っている自分がそうなのだが、これは先に書いた小学生と大人の会話能力の違いと同じだと思う。
つまり、リスニング能力がある程度付いたと言うことは、諦めずにそのまま勉強を続けていれば絶対に話せるようになる。

ここで、歌を上手く歌おうと思った時のことを思い出して欲しい。
韓国語を聞き取ることが出来るのに、会話が上手くできないと言うのは、歌詞を完全に覚えていないで歌を歌っているのと非常に似ていると思う。
歌の歌詞のように、次に言いたい単語や構文が思い出せないので、どうしても言葉が詰まってしまうのだ。
最初は頭の中で単語を探すのは仕方がない。
次にその歌を歌う時、つまり同じような質問を受けた時は詰まらないように、何度もその台詞を繰り返しつぶやく。
そうしている内に、歌を一曲覚えているように韓国語が自然と口から出てくるようになってくる。

今でも私は声を出して韓国語の文章を読み上げるのが苦手である。
見慣れた単語が並んでいる文章ならまだしも、身に付いていない表現や、新出単語が書いてあると上手く読めない。
それは聴いたことがない歌を歌うようなものだからだと理解している。
歌を歌う時のように、何度も何度も練習をしていれば、いずれすらすらと本を読むことが出来ると思っている。

■ 歌を歌うメリット

まず、韓国クラブに行って韓国語の歌を歌うとモテモテになります・・・という下世話な話しは置いておいて、とにかく単語量と表現が増える。
何しろ歌は長くて5分、短くて3分程度で終わるから、映画を見るより遙かに手軽な教材なのだ。
特に歌というのは普段教科書には出てこない単語を使っているうえ、口語で歌われているものが多いので、その歌詞を覚えていると、自然とそのフレーズが口から出るようになる。
歌を歌うためには、その歌詞がどんなことを言っているか理解しないといけない。

※ ここで注意点としては、歌の歌詞は口語体が多いゆえに、初期の学習者にとっては、略語やスラングなど、辞書を調べても分からない部分が出てくるので、最初は指導を受けた方が良い。

ヒヤリング訓練のため、ただなんとなく聞きっぱなしにしているのも良いが、より積極的に勉強するのなら歌詞カードを見た方が良いだろう。
意外と誤解して聞き取っていたのと気付くこともある。
歌詞の意味が理解できたら、実際に歌ってみると、その後その歌詞が正確に聞き取れるようになるから不思議である。

好きな歌手や歌が増えると、会話の話題が増えてくる。
どんなジャンルの歌が好きか?
どんな歌手が好きか?
どうしてその歌手が好きか?とかね。

韓国語を習い始めたかなり初期の頃、歌の翻訳という授業があった。
題名は「武器よさらば」という、とても初心者向けの曲では無かったせいもあっただろうが、4分程度の歌なのに、2時間近く掛かっても翻訳が終わらないという情けない状態であった。
でも歌詞がとても面白かったので、その後その歌をひたすら聞き、カラオケで歌いまくった。
それから1年ほど経って、とある先生から今までどんな歌を勉強したかという話題になった。
私が「一番初めに習ったのは“武器よさらば“という歌でした」と言ったところ、その先生も「その歌は私が日本に来てから流行った歌なのだけど、あまりにも面白い歌だったから歌詞をメモしちゃいましたよ。ちょっと歌ってみて」とのこと。
そこで私が冒頭部分だけ歌ったのだが、私を見るクラスメートの顔が「何で歌詞を覚えているの?なぜ歌えるの?」というように変わったのを良く覚えている。

最近もこんなことがあった。
先日の授業で「自分の好みでない異性から告白された時、どの様に断るか?」という質問を受けた。
私はとりあえずメールフレンドから初めて、自分に合わないようだったらメアドを変える・・・なんて答えた。
だが、よく考えてみたら「愛はヤヤヤ」という曲に異性を振る面白い方法が書いてあったのを思い出したので、一曲披露させてもらった。
今私が通っているクラスのレベルは相当高いものだが、皆さんカラオケに行っても韓国語の歌はあまり歌わないと言う。
私が「愛はヤヤヤ」なんてマイナーな歌を歌い始めたので、またしても「なぜそんな歌知ってるの?なぜ歌詞を見ないで歌えるのだ?」という目で見られてしまった。

そりゃ私から言わせれば歌えて当然のことだ。
何しろ気に入った曲は何百回も繰り返し聞いて覚え、カラオケで歌いまくっているのだから。

MP3プレイヤー「iPod」で再生された曲は、コンピュータにリンクすることで何回再生されたか一目で分かる。


これだけ聞いていればね・・・

韓国語を習い始めて早4年。
持ち歌の数は負けませんぜ・・・

■ 韓国語の歌を歌ってみよう

母国語の歌も上手く歌えないのに、韓国語の歌が上手く歌えるはずがないと最初から諦めないで欲しい。
最初はゆっくりしたバラードを歌えばいい。
女性ならWAXの「化粧を直して」あたりがおすすめ。
好きな曲ならメロディーを一人で口ずさむくらいはするだろう。
まず歌ってみて欲しい。
だが、意外と最初は歌えないのだ。
まず、画面に現れる歌詞を目で追ってしまい、その結果、単語の発音に意識が集中してしまう。
テンポの速い曲ならなおさらだが、口がなめらかに動かない。
激音も濃音も関係なく真っ平らな発音になってしまう。
だけど、それは歌を歌う練習が足りないからである。
今度は歌詞カードを見ながら口を動かす。
そうしている内に、頭で考えるのをすっ飛ばしなめらかに口が動くようになってくるので、カラオケを歌っても画面に出てくる歌詞を見るのは、韓国語の発音や歌詞の確認程度になってくる。
そうなったら後は、どの部分で感情を込めればいいだとか言う話しになってくる。

好きこそものの上手なれ。
とにかく勉強のためだとか、小難しい話しは抜きにして、カラオケボックスで好きな歌を歌おうじゃありませんか!

<04/08/10>

301 302

2004年8月4日 / コラム

お勧め度 ★

“New Hope Aparatment”の301号室に住むソンヒ は、料理好き過ぎて夫に嫌われ離婚。
隣の302号室に住むユニはかつて義父に性的虐待を受けたトラウマから拒食症に苦しんでいた。
ソンヒは自ら料理を作りユニの拒食症を治そうとするが、事は思ったようには進まない。
しかし、互いに心の傷を話し合うことで2人はやがて親友になっていく。
そして、ユニはソンヒに、驚くべき提案をするのだった・・・

 この映画を見たのはもう3年以上前になるだろうか・・・
 その時はまだヒヤリングなどほとんど出来なかったので、日本語字幕で見た様な気がする。
 冬ソナブームになる前から、この「301 302」という映画はDVDとして発売されていたのだが、あえて購入してまでもう一度見たいと思えない作品だ。
 上の粗筋にも書かれているが、301号室の女性が自分の料理を無理やり302号室の住人に食べさせる。
 だが、302号室の住人は拒食症のためトイレに駆け込むはめになる。

 この物語は基本的に301号室と、302号室だけでたんたんと進んで行く。
 ソンヒはなぜそんなに料理を人に食べさせたいのか?
 なぜユニは拒食症なのか?
 その理由は、二人の回想シーンで明らかになるのだが、結構衝撃的なシーンが出てくる。

 この話しの舞台は、韓国に限定されていると考える必要は無い。
 一つの部屋に住む住人、一人ひとりに過去があり、現在が有る。
 そしてその過去を忘れるため、人は自分を本当に理解してもらうため、その過去の忌まわしい思い出まで共有して貰おうと彼女は思ったのだろう。
 この物語の最後も坦々と終わって行く・・・

 この作品は大きなレンタルショップに行くと置いて有るところも有るので、ヒヤリングの練習など考えないで、この不思議な雰囲気を一度だけ味わってもらいたい。

 一度だけで充分だけど・・・

<04/08/04>

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春の日は去り行く

2004年8月4日 / コラム

お勧め度 ★★★

 サンウは痴呆症にかかった祖母と若い時に妻に先立たれた父、そして叔母と一緒に暮している。
 ある冬、彼は江陵ラジオ放送局でアナウンサー兼プロデューサーとして働くウンスと一緒に、彼女のプログラムのための録音旅行をすることになるのだが・・・

 韓国ブームだからか、ローカル局で「春の日は去り行く」を放送していた。
 気付かないうちに日本でも映画が公開されていたようだが、ラブストーリーはあまり興味が無いので、映画館に行ってまで見たいと思わなかったのだ。

 この映画は韓国の美しい四季を背景に、男女が引かれ合い、そして別れて行くと言うお話である。
 お互い引かれ合った二人なのに、なぜかその中はぎくしゃくし始める。
 彼氏がまだまだ頼りないと思ったのだろうが、もう会わないようにしようと言ったり、彼女の行動が良くわからない。
 いきさつは納得いかないものの、結局男はふられてしまう。

 縁側で一人たたずんでいるサンウに、痴呆症の祖母がこう言うのだ。

 つらいだろうね。
 だけど、バスと女はね、去ったら追うもんじゃないよ。


 なんだかこのセリフがぐさっと心に突き刺さった。
 そしてこう思った。
 バス停に立っていれば、次のバスがくるさ!

 祖母が言った通り?バス停にまたバスがやって来た。
 だが、もう彼の行き先は違う方向に向かっていたのかも知れない。
 彼女との思いでは、美しいままにしておきたい・・・
 そう言うことだったのかも知れないが、なんだか恋愛初心者の私としては、この二人の行動がやっぱり良く分からないのでした。

<04/08/04>

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八月のクリスマス

2004年8月4日 / コラム

お勧め度 ★★★

 町外れに小さな写真館を営む写真家チョンウォン。
死が徐々に彼に近づいているが、チョンウォンは変わらず日常の生活を過ごしていた。
 そこに毎日フィルムを預けにくる21歳の駐車取り締まり員タリム。
 二人の愛はだんだん深まっていくが、チョンウォンには余生があまり残っていない・・・

 韓国語の勉強をし始めたら、是非この映画は見ていて損はない。
 セリフは短いし、とても聞き取りやすい。
 シナリオも出回っているので大変勉強になる。
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2004年8月4日 / コラム

 インターネットを介して男女が知り合い、恋仲になるという映画。
 思い起こせば、「ユーガッタメール」という米国映画が有ったと思うが、この「接続」という「ユーガッタメール」より以前に作られた作品である。

 この話しにも「八月のクリスマス」に主演したハン・ソッキュが出演している。
 お互い引かれ合いながらも、過去の思いが障害となって、なかなか前に進まないと言う、今の日本人にはじれったいお話しだ。
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