手書きのハングル

2006年5月13日 / コラム

 会社のイベントがあるため、普段と同じ時間に家を出たものの、パンフレットを見たら、しっかりと開始時間が午後だと書いてある。
 もっとゆっくり寝ていられたじゃないか!
 こんな年もなって、なぜこんな単純なミスを犯したのかと情けなくなる反面、どうせ家にいてもインターネットを眺めているだけなので、そのまま会社近くのインターネットカフェに入った。
 4時間パックで980円。


 喫茶店でも良かったのだが、あいにく私はコーヒー中毒者なのでこういう店の方が合っている。
 インターネットカフェと言えばドリンク飲み放題が当たり前。
 たまには炭酸水も飲みたいと思ったけれど、その手のドリンクバーはやっていない様子だ。
 午前中の時間はこれでつぶれた。
 なんだかんだいいながらも、コーヒーを3杯おかわりしただけで、ずっと漫画を読んでいたりグログの修正を行っていた。
 ほんとうなら、ゴールデンウイーク中の宿題である「歌の翻訳」に集中したかったのだが、遂行に利用している電子手帳を机の上に置いて来てしまった。
 韓国語の歌を日本語に訳す。
 一つの曲を翻訳するのに10日以上経っているのに、まだ半分も出来ていない。
 書いては消し、思いついては言葉を入れ替える。
 単純な機械翻訳はその日のうちに出来ているのだけど。
 閑話休題
 先日、韓国語で書かれた手紙の日本語訳の仕事が入った。
 インターネットや雑誌に掲載されている文章ではなく、お客さんからの手紙だ。
 日本語と韓国語がよくにかよった言語であることは、他なら無自分自身が一番良く理解していることでは有るが、ある一行の文章を翻訳するのに10分はかかったと思う。
 単語と文法はわかっているものの、その状況を考えるとどういう訳だか機械的に翻訳出来ない。
 なんどもボールペンのお尻で単語をなぞりながら熟考する。
 端で見ていた上司も、こいつ本当は韓国語出来ないんじゃないかと思っていたと思う。
 この手紙が届いた部署にも韓国語が出来る人間がいたというのだが、早い話が字が汚くて読めないというのだ。
 電子メールが全盛の時代に届いた一通の手紙。
 この手紙を書いたのは70歳半ばのおじいさん。
 辞書にすら載っていないような古い言葉遣いと、崩したハングルを読むのは結構大変である。
よく手書きのハングルが読めますね?
 などと言われたことが有る。
 ハングルが読めるようになっても、人が手で書いたハングルが読めないという人もいるのはなぜだろうか?
 人が書く文字というのは、一種のデザインだ。
 一番最初に学校で習うハングルは幼稚園・小学生レベル。
 その後、独自の経験を経て自分独自の字を書くようになる。
 だからこそ筆跡鑑定が個人を特定出来る根拠となったりしている。
 最近も言われたことだが、
・ ヒヤリング能力と会話能力
・ 文書能力と読解能力

は一対のものだという。
 これと同じように、人が崩して書いた文字を理解するためには、自分でも文字を崩して書くようにならないと理解出来ないようである。
 実は、この手紙を書いた人と電話でお話ししたことが有るのだが、半分異常理解出来なかった。
 それほど自分の能力は低いのか…
 結構落ち込んで、その後の担当を自分から辞退したくらいだ。
 パソコンにしろ、韓国語にしろ、ある一定のレベルには達しているという実感を持つ時も有るが、まだまだ全然勉強が足りないと思うことの方が断然多い。
 時には周りから「先生!」なんておだてられることも有るが、それは本当のレベルが理解されていないだけで、まだまだ学生レベルなんだなと思っています。
 今日は明るいうちから酒を飲んでおります。
 歌の翻訳終わるのかなぁ…
曇りのち雨

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