忠武港へ帰れ?

2006年5月12日 / コラム

 ずいぶん前の話題なのだが「釜山港へ帰れはパクリだった!」というトラックバックを思い出し、検索してみた。
http://hello.ap.teacup.com/applet/heayan/278/trackback

 トラックバックを送ってくれた人が不信に思っていたようだけど、この判決を見る限り、作曲者側にずいぶんと分が悪いものとなっている。


 韓国語を勉強し始めて気がついたのだが「釜山港へ帰れ」の原曲(パクリの方)は兄弟の思った歌であるのに対し、大元の歌詞は恋人を思う女性の歌になっている。
 つまり、日本語で歌われている「釜山港へ帰れ」はより原曲に近いという訳か楽しい
 又聞きであるので、日本のワイドショーが報道した内容におかしいところが有るかどうか、定かではないが、とりあえず翻訳した記事を読んでいただきたい。
ソウル=連合ニュース
入力:2006.03.21. 19:10:31
http://www.chosun.com/national/news/200603/200603210428.html

チョ・ヨンピル「釜山港へ帰れ」 一部盗作判決
歌手チョ・ヨンピル氏の歌「釜山港へ帰れ」が「忠武港へ帰れ」という歌を一部盗作したという法廷判決が出た。
ソウル西部地裁民事12部(キム・ジェピョプ部長判事)は21日、歌手金某(1971年死亡)氏の母親、カン某氏(79)が「釜山港へ帰れの作詞作曲家・ファン某(64)氏を相手に提起した著作権侵害による損害賠償訴訟において被告は原告に3千万ウオンを支給しろという原告の一部勝訴判決を下した。
裁判部は『被告は歌手金某氏が作詞した「忠武港へ帰れ」という歌に曲を付け、金氏が無くなった後同じ曲をそのまま利用、金氏の同意無く歌詞を一部変え「釜山港へ帰れ」を作詞した事実が認められた』と明らかにした。
裁判部は『「忠武港へ帰れ」が分かれた恋人を偲ぶ内容だが、「釜山港へ帰れ」は旅立った兄弟を偲ぶ内容として創作性が付け加えられ、歌手金氏がレコードを発表した後、他に活動が無かったと言う点など全ての経緯を酌量した時、3千万ウオンを賠償額とするのが妥当だ』と付け加えた。
歌手金氏は1969年「忠武港へ帰れ」という歌を作詞し、1970年被告ファン氏から曲を貰い、同年レコードを発表したが、1971年ソウルテヨンガクホテル火災で亡くなった。
金氏の母は2004年6月3日、ファン氏を相手取り1億7千800万ウオンの損害賠償と日刊紙三誌に説明広告を出すことを要求する訴訟を起こした。

 被告の主張が全く書かれていないのが気になるが、どうせでたらめなんだからあえて主張を併記する必要も無いということかも知れない。
 トラックバックを送ってくれた人の記事(元はワイドショー)によると「忠武…」の歌詞は未発表ながら被告が作詞したもので、勝手に使われたという主張とかなり食い違った内容であることがわかる。
 ただ、世の中の見方としては鳴かず飛ばずとも、例え教え子が勝手に自分の曲を使ってレコードを出したなんてことが、狭い音楽業界の中でありえるのだろうか?
 原告の母親が、なぜ30年以上経ってこんなことを言い出したのかという点も気になる。
 誰でも最初に頭に浮かぶのが「金が欲しくて」というものだろう。
 だが、齢80にもなろう老人が、そのような訴訟を起こそうとするのだろうか?
 何か母親を焚き付けた人間がいるのではないだろうか…
 そう思って、もう一度検索記事に目を通してみたところ、私の想像は一部あたっていたようである。
http://blog.empas.com/pp337337/read.html?a=2556421&c=90052

国民的歌手 チョ・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」を知らない国民が果しているのか?おそらく成人なら十人が十人、皆知る歌だと答えるだろう。しかしこの歌が実は「忠武港へ帰れ」というタイトルで発表された曲を再び直し発表されたということを知る人達がどれほどになるか?おそらく大部分の国民は初めて聞く話だと言う反応だろう。しかし、驚くことに「釜山港へ帰れ」の大元である歌が「忠武港へ帰れ」だという事実が明らかになった。
このような事実はトンミョン(区、忠武市)出身の若くして死んだ歌手 キム・ソンスル(芸名 キム・ヘイル)氏が作詞し「釜山港へ帰れ」の作曲家であるファン・ソンウ氏が曲をつけた歌「忠武港へ帰れ」が入ったオムニバス形式のアルバムが発見されたことにより明らかになった。
ユニバーサルレコード社はさる1970年12月16日発売した33と3分の1 LP版(日本で言う33回転レコードのことか?)として制作したこのアルバムに、故:キム・ソンスルしがキム・ヘイルという芸名で「忠武港へ帰れ」と「旅立ったあなた」など、4曲を歌っており、この他にもキム・クックァンの「踵を返す女人」など3曲、イ・ジャンヨンの「君は愛の旅人」など3曲、ナム・ミソンの「夜が流れる」1曲など、全12曲が収録されていた。
このオムニバスアルバムの作曲者はキム・ドンジュ氏と「釜山港へ帰れ」の作曲者として有名なファン・ソンウ氏の2名が参加していた。
故:キム・ソンスル氏は同時このレコードを発表した次の年である1971年テヨンガクホテル火災のため26歳で幽冥相隔ち、この時彼の遺族達がレコードを全て回収し消却したためレコードの存在が忘れられた。
その後、作曲家ファン・ソンウ氏は「忠武港へ帰れ」の歌詞に出てくる地名を、釜山を表す内容に大部分直し1972年「釜山港へ帰れ」というタイトルで当時チョ・ヨンピルとイ・ナムイなどがチームを成すキムトリオに渡し、チョ・ヨンピルはまた4年後、自信の個人アルバムにこの曲を1拍子速いテンポに直し、若干の歌詞を直し、再収録することになった。
チョ・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」は結局「忠武港へ帰れ」が発表された6年後、1976年に彼の最初の個人アルバムに収録されたようだ。
しかし「釜山港へ帰れ」の作詞・作曲者として知られるファン・ソンウ氏は原曲である「忠武港へ帰れ」の歌詞の中で一部地名を除き、ほとんどまねて歌詞を盗作したという指摘を受けている。
アルバムを見つけた地元の歌手イ・チャンギル氏(43)は「釜山港へ帰れ」が元々忠武港だったという話は多かったが、アルバムが残っておらず事実かどうかを確認することが出来なかったところ、故:キム・ソンスル氏の友人の一人がオムニバスアルバムを保管していた」とし、「故:キム・ソンスル氏が若くして死ななければ釜山港へ帰れは忠武港へ帰れという題名で多くの大衆に愛されたかも知れないが残念だ」と語った。
イ氏は「このような事実を市民達と観光客に広く知ってもらえるように文句の一つもをつけられたら良かった」と語った。

 とりあえず、ここに書かれていることが事実であるとしたら、これまで証拠であるレコードが無かったから著作権侵害を訴えることが出来ず、30年後もってしまった釈明できるかな?
 あと気になったことは、裁判所が「釜山港へ帰れ」に創造性があるという判決を下したことだ。
 素人目に見ても、地名を一部換え、スチュエーションが変わったとしても、これほど明らかなパクリは無いと思う。
 だけど
ちょっと変えたらもうオリジナルだよ!
という、韓国人の悪い体質が裁判所にでさえ現れているという気がする。
 明らかにグリコのポッキーでもペペロと名前を変えたら、オリジナル商品。
 そんな感じだ。
 長くなったので今日はここまで。
晴れ

“忠武港へ帰れ?” への1件のコメント

  1. 作曲の王道 より:

    作曲講座 『作曲の王道』 第7章

    †第7章 何でわざわざ歌わなきゃいけないの?
    ~アーティストが歌いたくなる曲を作…

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