格差社会の表現

2006年8月1日 / 宣教師の思考方式

 今日はお休み。
 普段午後まで寝てしまうのだが、今日に限ってずいぶん早く目が覚めた。
 いつもは午前4時代にしか見れない六本木放送局のワイドショーを見ることが出来た。
 この局は世の中に対する不満を煽ることが常套手段で、政治や社会に不信感を強めることをベースにしているのでは?と思う節が有る。
 一発目の話題は「流れるプール」で起きた事故。
 安全に遊ぶことが出来る施設で起こった、あり得ない事故。
 韓国ではこういう事故を
:安全事故
なんて言ったりします。
 関係ないけど楽しい


 水の吸い込み口に設置してあった網が取れていることを知らされ、監視員がすぐに対策をとろうとしたが、その間に子供が吸い込まれてしまったという。
 確かに市営プールの対応のまずさはあったと思う。
 すぐにお客をプールからあげさせるなり、機械を停止するなりすればこの事故は防げただろう。
 前日にはすでに外れかかっていたという話も出て来ているが、当日の点検では問題なしという発表。
 遺族は業務上過失致死などで争うことは目に見えている。
 そこまでは良い。
 だが、テレビ局側の対応がどうも鼻にかかる。
 起きてしまった事故に対して、後から畳み掛けるようにあぁすれば良かったのに、全然そのことに対して対策がとられていなかった!おかしい!
 前日には外れかかっていたというのに、問題なしだという嘘をついている!
 人一人が死んでいるのに、まるで事態を把握していないなんて、無責任すぎる!
 行政はプールの運営を業者に丸投げしていて、細かい打ち合わせがされていないなんて非常識すぎる!
 安全事故というのはほとんど人災であると言って良い。
 そんなこと起きるはずが無いという、心の隙間に潜む人災だ。
 死んだ人間は戻ってこない。
 だから再発防止のための対策が必要だし、他の業者間の情報交換も必要になってくる。
 マスコミは関係各位に対して、二度とこのような事故が起こらないように、警告という形を取っていろいろと事件を検証しているのなら良いと思う。
 だけど、私が感じたのは起こってしまった事故を利用して、行政への不信を煽っているように見えた。
 番組内で少しだけ触れられたことだが、実質的にこのプールを運営管理している会社は、警察の事情聴取のため、行政側と情報交換が出来ない状態になっているようだ。
 運営を委託しているからといって、事故が起こった数分~十数分間に、現場にいた係員がどのように動いたかは、当時現場にいた係員しかわからないし、水の吸い込み口に設置されていた網がちゃんと固定してあったかどうか、点検されていたかどうかなんてことが、毎日行政側に伝えられることがあったはずもない。
 だけど、番組内では業者のことについてはほとんど触れず、対策が不味い、本来ならこうすべきであったはずなのに、という第三者が「想像」で事件の流れを組み立てて検証している。
 こういう動きは、あらゆる事件に関して同じだ。
 捜査当局が集めた情報とは別に、マスコミが情報をあつめ、本当にその当時現場にいたかどうかわからない人をインタービューして、事件を検証。
 こういう話も有るのに、捜査当局はまるで把握していないなんて、いったい何を操作しているのでしょうか?なんて感じに視聴者に行政に不信感をあおって行く。
 殺人事件は年に何十件と発生しているが、マスコミが飛びつくのはその内の何件かで、新聞の片隅に十数行しか掲載されない事件もある。
 要するに視聴者の関心を引くようなゴシップにまみれたような事件や、捜査当局の不手際と言ったバッシングしか、マスコミは関心が無いという話なのだろうか?
 新聞の片隅でしか見ることが出来ないが、六本木放送局の周りでは、かなり頻繁に殺人事件が起こっている。
 だけど、その事件をワイドショーで大々的に放送したという話はまるでない。
 そんな話題を取り上げたら、イメージダウンになってしまうから放送したくないし、事件の掘り起こしもしたくないということなのかも知れない。
——
 そういう感想を持ちながらも、番組は続く。
 このワイドショーでは「格差社会」をテーマにした特集を行っているらしい。
 初めて見る内容だったが、50歳前の男性がフリーターをしながら、自分の夢を追っているものの、数ヶ月後の再取材では夢も半ばでアルバイトに明け暮れるという内容だった。
 Aさんは写真家を夢見て、投げ捨てられ朽ち果てているような車の写真を撮るのがテーマだそうだ。
 新品の頃はもてはやされたのに、動かなくなり捨てられ、ぼろぼろになった姿と今の自分とがダブって見えるという。
 Bさんも50歳くらい。
 会社を辞めてから離婚をしてゲストハウスに住む。
 歌手になるのが夢で、オーディションを受けたところ合格。
 その後、発声練習などの勉強をしながら夢に向かってがんばっている。
 ところが、数ヶ月後再取材をしたところ、Aさんは貯金を崩して生活。
 プロカメラマンという名刺を持ち歩いているものの、写真コンテストで入選し1万7千円ほどのヘルメットを貰っただけ。
 本人も言っていたが
名刺にプロカメラマンと書けば、その日からプロカメラマンという話を聞いて、自分もそうしてみた
なんて話。
 一方Bさんは、歌手の勉強をする金もなく、更に売り込みのためのデモテープを作る金もなく、馬鹿馬鹿しくなった。
 愛用していたギターは、持ち歩きやすくするために改造しようとしたら、壊れてしまって、一部の部品を残して捨ててしまったという。
 この二人はバイトに明け暮れるようになったという。
自分の夢を取るか、サラリーマンの夢を取るか…
だけど自分は夢を選んだ。

 そんなカッコいいこと言っているように見えたが、実はサラリーマンへの道は既に残っていない。
 実際、どこの会社に言っても雇ってもらえなかった。
 だから、趣味のカメラや歌を「職業」のように考えてやっているだけなのだ。
 なんだかよくわからない取材だな…
 そう思っていたら、この状態に関して「各社社会」を持ち出して来た。
 中高年が定職を持たないと税収が減ってしまう。
 その額は数年後、数兆円になる何て話だ。
 それで?
 この映像とどうリンクしているのでしょうか?
 なんとかさんという、格差社会に詳しい?とされるコメンテーターが、
このような人達を作らないためにも、会社(行政?)がやりがいのある仕事を用意しなければならないんです
なんて感じでしめていた。
 全然訳が分からん。
 とりあえず、今回取り上げられた二人の中年男性が、なぜ会社を辞めたかについて、何も説明が無い。
 会社でリストラされたのかもしれない。
 本当に夢を捨てきれず、自分から会社を辞めたのかも知れない。
 歌手になる夢も、カメラマンになる夢も捨てることは無い。
 だけど、会社にいながらも趣味でカメラの腕を磨くことも、歌手の勉強もできると思う。
 趣味が高じて会社を辞めたのは良いが、その夢で食って行くことが出来ないなんて、なんて社会なんだろう…
 そう思わせたいのか?
 格差社会の特集はここで終わって、またしても老後を楽しく生活するための特集なんかが放送された。
 こちらは、気のあった中高年女性だけで暮らす共同住宅のようなもの。
 部屋は個室だが、浴室や台所は共有になっていて、みんなで仲良く暮らしているとか…
 この人達は凄くお金を持っていそう。
 主人に先立たれたが、一人でいるのもさみしい。
 だから、気の合う人達と一緒に生活して行くのが楽しいという。
 部屋では趣味の油絵を描くなど、プライベートスペースも確保されている。
 学生を一緒に下宿させ、料理を教えたりもする。
 確かに楽しそうな老後を送っているのだろう。
 だが、私の目には先のカメラマン・歌手希望の40、50代男性と、この80代女性との格差が際立って見えた。
 方や一日一杯のラーメンで過ごさなければならないというのに、片一方では趣味の油絵を描きながら、悠々自適な年金生活。
これが格差社会と言わずなんと言うのだ?
 この放送局は本当に格差社会というものを取り上げているつもりなのだろうか?
 そう思いました。

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